『東洋法制史研究会通信』 試行号(1987年6月23日)

《書評》

岸本美緒「『租覈』の土地所有論」(1)

森田 成満


 岸本氏の論稿は、清末蘇州の人陶煦が著わした『租覈』に現れる土地所有論を主に検討することを通して、「清代の人々が土地所有権をどのような形で問題にしたかという」「考え方の特徴」を明らかにすることを目的としている。

 田土は「君主の有する所」であり、それ故、「田利と商利は本来異質である」ことを根拠に田利の制限を主張する点と、田主・佃農の田底、田面の所有を「あたかも共同出資によって土地を購買した者の土地に対する持分比の如き量的関係において」捉えることによって減租を主張する二点に、陶煦の所有論を集約して紹介したあと、「社会の安寧維持という目的に向けて」、私的土地所有即ち地主的土地所有を容認する立場と王土思想に基づいて所有権を制限すべきであるとの考えの間のどこかに清代における種々の土地所有論は位置づけられるとする。

 また、清代の土地政策の目的を「全体社会の安寧」を目指す紛争防止にあるとし、そこからは土地所有権の絶対性という考え方は生じず、絶対性と相反する慣行も問題とならぬ限り認知されたとする。

 次いで、陶煦の土地所有論が当時の経済的現実に照らして妥当であったか否かを検討する。土地王有論を根拠とする田利・商利相異論については、田土投資と商業投資の利回りの有利な方が選択される結果、それは平均化していくし(2)、田主=佃農の利益共分論については、「投資家的原理によって形成された田底価と小農的原理によって形成された田面価とが、前者は高額小作料にょって、後者は競争の激しさによって、いずれも高い水準──偶然にも同程度の──を保ちながら、同じ田土の上に二重に形成されている」と分析し、それ故、「減租自体は可能であるとしても、従来高額の田面価を成立させてきた競争が消滅しない限り、減租は長期的には田面価の高騰を招き、出資額に応じた利益分配は依然として不可能」である故、陶煦の論理には破綻があると結論される。

 次に、論稿を読んだ印象を記したい。そもそも、所有論には剰余価値の帰属の仕組みに着眼するいわゆる「経済的範疇たる」所有のように、専ら分析する側の視点から所有を捉える方法の外に、ある土地が誰々のものであると人々が構成したところに着眼するいわば法律的方法のような対象に即した方法がある。

 清代の法律的所有秩序にはいくつかの体系が混在している(3)。例えば官の土地であるという権威にもいわゆる王土思想に見られる中国全土を官の土地であるとするものや、旗地や民地に対して官地と呼ぶ構成がある。また、第二の系列の官地の中から、特に何らかの形で官が現実に利用しているものを取り出して来て、それを官の土地であるとし、封禁地や荒地となっている官地は無主の土地であるとする構成もある。系列の異なる複数の所有秩序が混在している点は、民地も同様である。まず、民地はともかくも民人のものであるとする考え方がある。この外に特定の民人を捉えて彼のものであるとする構成がある。その第一は官の授権にその存在の根拠を置くものであり、これは民地であればどの土地にも必ず一つ存在するという意味で一般的な系列である。第二は一田両主の一方権利者(通常は田面権者)のように、第一の構成が存在することを自らの存在の前提とするものである。そして、このような系列の異なる構成が時に無造作に同一次元で論述されたことが、清代所有論の理解を難しくしている。岸本氏が指摘されている陶煦を始めとする清代の所有論に、王有と民有という一見相反する二つの言明が同時に現れることがあったということも、このように考えるとはっきりと理解できる。所有を論じるものは自ら良いと考える所有権の位置付けを頭に描いている訳であり、意識していたか否かはともかく、説得のための方便として系列の異なる所有秩序を同一次元で持ち出したのである。それ故、清代の所有論は「自明に整合的な論理とはいい難い」訳であり、また、「一種のレトリックと見な」し得たのであり、「二つの言明が相互に抵触するような実質的内容を欠く」ことがあったのである。

 そして、陶煦が唱える田主・佃農の土地共有論も一つの構成方法であり、持分比のような量的共有関係として、例えば現代法の物権を説明できなくはない(4)。

 清朝の土地政策の目的は、全体社会の安寧のための紛争防止にあったのであり、そこからは所有権の絶対性という考え方は出てこないとされる点については、土地裁判の目的をそこに置くことは正しいであろうけれども(5)、土地政策の目的即ち土地所有権を清朝がどのように位置付けようとしていたかは、例えば財政的考慮も入って来るであろうし、もっと多くの要因を考えなければならない。そして、おおよその傾向としてはかねがね言われているように、所有権を絶対的なものとして位置付ける方向にあったと見て良いと思う。岸本氏も挙げられているような絶対性に反する様々の慣行が官にとって桎梏となりつつあった。

 陶煦の土地所有論を経済的現象から見て妥当であるか否かについて、門外漢の身に論評の資格はない。ただ、岸本氏は田主が田面を取得する可能性を認めながら、小農が田底を取得する可能性を殆ど認めておられないかに見受けられる。この点について、清末蘇州の精しい情況がどのようであったかについては知らない。しかし、同一人が時に(あるいは一方で)地主となり、時に(他方で)小作人となることがあったことは、例えば、清代江南特にまさに蘇州付近についての細かな実証的研究をされている村松裕次氏の記されているところである(6)。もし、小農が田面の利益率と比べて有利とみれば田底を取得することが相当程度あったとすれば、田面・田底の出資額に応じた利益率を平均化する要因がそこに内包されていたことになる。陶煦の論理とは関わりなく、実態は田面・田底の出資額に応じた利益分配の実現する方向にあったことになるであろう。

 主として法的側面から清代土地所有権を見て来た者が、異なった視点からの所有論に接し得て新鮮な刺激を受け大いに啓発されたことを最後に記しておきたい。


《註》

(1) 『中国──社会と文化』第1号(1986年6月)。
(2) 土地王有論は、言い方を変えれば公法的統治権がすべての土地に及ぶということであり、そういう意味での統治は商行為にも及んでいるのであって二つは決して異質ではない。陶煦の論理はその議論の次元に即してみてもすでに破綻している。
(3) 拙稿「清代土地所有権補論」(島田正郎博士頌寿記念論集『東洋法史の探求』汲古書院 1987年9月刊行予定)243、244頁。
(4) 例えば、借地権について地価の何パーセントの価値を持つものと構成することがある。それ故、岸本氏は陶煦の論理は一田両主慣行があってはじめて減租論となり得るとされるけれども、量的共有関係による構成は普通の小作、借地関係等に於ても可能である。
 また、「官地官田に対比して民地民田というものが存在する以上、民地民田が民の所有であることに議論の余地はない。」との一文も、「……民の所有であるという構成が存在したことに……」とした方が一層正確である。
(5) 拙著『清代土地所有権法研究』(勁草出版サービスセンター1984年刊)171頁。
(6) 村松裕次 " A documentary study of Chinese landlordism in the late Ch'ing and the early Republican Kiangnan " 〔『近代江南の租桟──中国地主制度の研究』(東京大学出版会 1970年刊)所収〕P.19.
 小農が不利な小作条件を飲んだ背景に、岸本氏と同じように村松氏もいわ ば小農的合理性があるとされる(上書上掲論文 P.26.)。このことと地主、小作間の流動性の存在を認めることをどの様に関係づけて説明されるのか、必ずしもはっきりしない。

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