『東洋法制史研究会通信』 第10号(1996年8月20日)

《記事》

文字改革・共通語(原語=普通語)普及と教育

宮坂 宏



 昨年、中国の教育三法(中華人民共和国義務教育法、中華人民共和国教師法、中華人民共和国教育法)を翻訳紹介した際に*1)、簡単な解説を書きましたが、それには、学制に就いて主として触れたのみで、文字改革と共通語普及に就いては全く触れずじまいでしたので、その点を改めて取り上げ、補足しておきたいと思います。

 昨年12月に、北京で文字改革と現代漢語規範化工作四十周年記念全国大会が開催されています。これは、1955年10月に、全国文字改革工作会議と現代漢語規範問題学術会議が北京で開催されたのを記念してのことです。国務院は、1956年1月28日に「『漢字簡略化方案』公布に関する決議」を採択し、同年2月20日に「共通語を推し広めることに関する指示」を出しています*2)。漢字簡略化方案に就いては、1964年3月の中国文字改革委員会・文化部・教育部の「簡略化文字に関する連合通知」を承けて「簡略化文字総表」が同年5月に示され、この表は1986年10月に、国家語言文字工作委員会が若干の調整を施し版を新たに重ねて発表しています*3)。文字改革を推進するに就いては、1958年1月10日、中国人民政治協商会議全国委員会で周恩来が「当面の文字改革の任務」と題する報告をしています。そのなかで、「簡体字は『方案』公布後二年来既に新聞紙・出版物・教科書と一般書籍に普遍的に採用され、広範な大衆の歓迎を受け、人々に重宝がられ、特に文字を初めて学ぶ児童と成人には確かに一つの大きな喜び事と成っている」*4)と述べています。また、呉玉章も1958年2月3日、第一期全国人大第五回会議で「当面の文字改革工作と漢語■【手+并】音方案に関する報告」と題した講話をし、当面の文字改革の任務を漢民族に就いて言えば、「簡略化した漢字は、容易に広範な人民が掌握し使用するところとなり、広範な人民の中により多く・より良く・より早く・より手間を省き非識字者を一掃し、基礎知識(原語=文化)を普及し向上させるのに便宜とする」、「簡略化した漢字を推進することは、児童教育・非識字者一掃と一般人の物を書く面でいずれも大変利益になることは無論のこと、其だけに広範な大衆の取り分け少年児童の熱烈な歓迎うけている。……漢字の簡略化は確実に億万の児童と非識字者にとり一つの喜び事であり、上手くやりやり損なってはならない」*5)と話しています。簡体字を普及させることは初等教育・識字教育に決定的な意義を持ち、大衆の識字化は社会・経済の発展にとり重要な要素・原動力となりましょう。それだけに、革命根拠地政権構築の時期から教育(当時は幹部教育第一・大衆教育第二を方針とした)を重視していた中国共産党中央は、新中国の建国早々から、識字教育を重点目標の一つとし*6)、また小学教育、労農教育に努力を向けていました*7)。中央政府も早くから小学教育の整頓と改善に積極的に取り組んで来たのです*8)。

 共通語は、周知のように北京語音を標準音にし、北方語を基礎方言として、模範的な現代白話文を語法の規範としたもので*9)、その普及は学校教育の基礎に成っています。簡体字の一般化と相侯って共通語の普及が、国家統一と民族団結に果たした役割は計り知れないものがあります。共通語の普及と漢語規範化の促進は言語文字工作の主要な任務とされ、各地区・各部門・各単位の業務工作と結び付けて行われるべきものでありましょうが、取り分け地区の点からみると南方方言地区に普及の重点が置かれているのは*10)、共通語の成り立ちからみてある意味で当然のことと言えます。中国南部では村一つ越えると言葉が通じないほどに方言の複雑なところであると言われていました。司馬遼太郎氏の『街道をゆく──中国・江南のみち』に、龍井の茶畑を案内されたことに関連して、「急須」に就いて書いているところで、氏の年来の友、福建省雷峰出身の、張和平氏の深刻な経験が紹介されています。張氏が小学校のころ、山一つむこうの村に用事で出掛けて夜になってしまい、一戸一戸尋ねて、泊めて欲しい、ご飯を食べさせて欲しいと言っても、一切通じない。中国は筆談の国であるので、「字を書けばいいじゃないか」と問う司馬氏に、「当時は、字を書いても、村のひとはたれも読めなかったよ」と答え、村から遠く離れたところに駐在していた幹部の許に連れて行かれて、幹部と筆談し漸く食事にありつけたと言うのです*11)。この話は大変に興味深い。三十余年前の日本では考えられないことです。知識人の間では漢文という共通の文章語が発達してきたが、それは農民大衆とは無縁なものに過ぎなかったのです。生活する地区を異にする農民大衆の話が通じ会い、書き留めたものを理解しあえることは、日常生活に革命的な変化をもたらし、且つ、社会生活に質的な変動を生み出すものであったでしょう。中国共産党が政権を掌握するまでは、歴代の権力者が誰しも成し得なかった言語文化の大改革です。しかし、ことはそう簡単に成し得るものではないことは、国土の広大さ、人口の多いさ、中国は一世紀に渡り半植民地状態に置かれていたこと等を考えれば、容易に想像でき得よう。1992年11月の国家語言文字委員会の「当面の言語文字工作に関する請示」に、「数年来、我々の言語文字の規範化・標準化の面に於いて行ったかなりの工作は、一定の成績を挙げてきた。しかし、工作の中にはなおかなりの問題と困難があり、主なものは新時期の言語文字工作の方針・政策に対する宣伝不足であり、必要な行政管理工作が付いて行かず、社会的に言語文字規範意識が比較的希薄であり、言語文字応用中の混乱現象が相当に深刻である。……言語文字の規 範化・標準化の実現は、教育の普及・文化水準の向上・科学技術の発展の一つの基礎工事であり、我が国の改革開放と社会主義現代化建設に対し重要な意義を具有している。」*12)と述べられていること、また、1992年12月16日の全国語言文字工作先進集団・先進個人工作者表彰会で示された、中共中央総書記江沢民の言語文字工作に関する三点の意見の第一に、「国家現行の言語文字工作方針政策を継続して貫徹し、漢字簡略化の方向を変えてはならない。各種の印刷物・宣伝物は取り分け簡略化文字の使用を堅持しなければならない。」*13)とあることからも、簡体字・共通語の普及の困難さは知られます。1983年5月の「中共中央・国務院の農村学校教育の強化と改革の若干の問題に関する通知」*14)にも、小学教育を勉学していない或いは勉学を完了していない十五歳以下の少年児童を学校に呼び込み、新非識字者を生み出すことを防止する必要性を指摘していますし、1987年6月の「国家教育委員会の成人教育の改革と発展に関する決定」*15)には、農村の非常に多くの地区での青壮年の非識字者一掃運動の継続に就いて触れられています。1988年2月5日国務院発布・1993年8月1日⊥部修正の「非識字者一掃工作条例」*16)の第7条には、個人の識字水準を、農民は漢字千五百、企業事業単位の職員労働者・都市居住者は漢字二千、平明な通俗的新聞雑誌・文章を理解し、簡単な帳面が付けられ、簡単な文章が書けることとし、基本非識字者一掃の水準を、それぞれの単位で、1949年10月1日以後出生の滞十五歳以上の人口中に識字者を農村では95%に、都市では98%に迄し、非識字者に戻る率を5%以下にするものとし、基本非識字者一掃単位は初等義務教育を普及しなければならないとしています。また、同条例第6条に、非識字者一掃教育には全国に通用する共通語を使用すべきものとしています。「中華人民共和国義務教育法」第6条に学校教育に共通語の推進を規定し、1992年2月19日国務院批准、同年3月14日国家教育委員会発布の「中華人民共和国義務教育法実施細則」の第24条には、義務教育での共通語使用を義務付けています。1982年憲法には、教育の振興、非識字者の一掃、共通語の普及に就いて一ヵ条を設けています(第19条)。誠に、言語文字改革運動一教育の普及は国家的一大事業であり、四十年来孜々として継続されてきている難事業なのです。

 ところで、優れた中国研究者であり中国の理解者であった今堀誠二先生が、1987年1月の講演の中で、中国で一番の問題は「教育」であるとされ、『紅旗』に記載された論文を詳細に紹介されています。その論文には、中国の小学校では授業料を取るので、小学校に行けない子が沢山いて、全体として非識字者が二億三千五百八十万人、子供の四割が字を読めない、そんな状態にしているのが中国ではないのか、小学校の先生は給料が安く暮らして行けないので、大学で一番評判が悪いのは師範大学であり、学生に最も人気がなく、先生は勉強してなく教え方がでたらめで、非識字者数は増えこそすれ減っていない、革命後、新中国に成って社会主義国なのだから、せめて小学校ぐらい無料だろうと思ったら大間違いで、授業料を取り立てて、しかも禄くでもない先生を呼んできて授業していては、字の読めない人が増えるのは当然であろう、こういう状況を改めるのか一番根本ではないか、と書かれているとその内容を記しています。そして、「広島こそ実は教育県として長い伝統を持っているので、この点で広島が中国に対して、して上げられる事はいくらでもあると思います。……私がいつも大学で言っている事なのですが、『……今、日本の青年が中国の教育のために尽くす、身を挺して中国の教育はこうあるべきだということを示し、中国の教育水準を上げる。そういうことこそ日中友好の一番の柱ではないか』と。ですから二千万円ぐらい持っていってパンダのエサにして下さいと言ったところで、何の友好も出来るものではないということです。」*18)と述べられています。紹介されている論文の筆者は戦前の国民党時代から有名な学者で政治家でもある人とのことです。今堀先生は尊敬する研究者で、ご著書から多くのご教示を受けているのですが、この発言には釈然としないものが残ります。『紅旗』の論者が中国人として中国の現状を憂え、その改善を願って発言していることは首肯できても、1987年の時点でそれを無条件に日本人が鸚鵡返しにし、日本の教育行政・教育技術の経験を持ち込んで行こうとは、何か違和感を覚えるお考えです。このご講演の冒頭で、中国が何もかもよく見え中国に感服している「中国中毒」と、中国を全て悪く言う「中国症候群」とに触れられていますが、中国の教育行政と法制の一端を紹介するに際し、先生は既に亡くなられてはいますが、今でも先生の影響力は大きいと存じますので、敢えて触れさせて頂ました。(なお、識字教育の初期には受講者が費用を負担し、また小学も民弁小学であったりしていますが、1986年4月の「中華人民共和国義務教育法」では、義務教育を受ける者は学費免除とし、貧困生徒の為に学費援助金<原語は助字金>を設けるとしています。)

  註
(1)拙訳・解説「中国の教育三法」(「専修法学論集」第65号1995年11月)1−33頁
(2)全国人大宮委会法制工作委員会審定『中華人民共和国法律法規全書』第10巻(1994年4月 中国民主法制出版社)494−500頁
(3)同上書 507−518頁
(4)中共中央文献研究室扁『建国以来重要文献選編』第11冊(1995年1月 中央文献出版社)23頁
(5)同上書141−143頁
(6)銭俊瑞「在第一次全国教育工作会議上的総括報告要点」(1949年12月30日)〔『建国以来重要文献選編』第1冊(1992年5月)86−94頁)
(7)「中共中央批転中央教育部党組関干大中小学教育和掃盲運動等問題的報告」(1952年 10月17日)〔『建国以来重要文献選編』第3冊(1992年6月)551−366頁)
(8)「中央政府政務院関干整頓和改進小学教育的指示」(1953年11月26日)〔『建国以来重要文献選編』第4冊(1993年7月)430−435頁)
(9)「国務院関于推広普通語的指示」(1956年2月20日)〔『中華人民共和国法律法規全書』第10巻 498−501頁〕
(10)国務院批転国家語言文字委員会関于当前語言文字工作請示的通知」〔同上書 504−507頁)
(11)司馬遼太郎『街道をゆく19 中国・江南のみち』(朝日新聞社・朝日文芸文庫版 1987年3月)148−149頁
(12)『中華人民共和国法律法規全書』第10巻 505頁
(13)『中国教育報』(第1353期1992年12月17日)第1面
(14)『中華人民共和国法律法規全書』第9巻(1994年4月 中国民主法制出版社)968− 970頁
(15)同上書 985−989頁
(16)国務院法制局編『中華人民共和国法規匯編(1993年1月−12月)』(1994年7月 中 国法制出版社)1187−1191頁
(17)『中華人民共和国法律法規全書』第9巻1017−1020頁
(18)今堀誠二『中国史の位相』(1995年10月 勁草書房)487−489頁

(1996年5月6日記)

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