『東洋法制史研究会通信』 第11号(1997年8月9日)

《記事》

家産分割における店舗をめぐる一史料

滋賀 秀三



 拙著『中国家族法の原理』を出した後、私は、関連する史料や人様の研究・発言──それはかつての所論を裏付けるものと微修正を促すものと両様になりますが──に出会うごとにそれを備忘的に書き留めて来ました。そのなかから判語の中で出会った一つの事例を紹介して、これをどう意味付けるかは読者の皆様に委ねようとするのがこの一文の趣旨であります。

 臼井佐知子さんの「徽州における家産分割」(『近代中国』25巻)を読んで触発されたことが、この一文を投稿する動機となりました。徽州文書のすでに写真本となったものだけでなく、北京の各種研究機関に蔵されている原本に当たって、豊富な家産分割事例を抽出・分析したこの大作に接して、中国家族研究も新しい時代となり、史料探査能力(体力)の喪失一つを考えて見ても、老生が本格的に取り組むことはもはや無理になりつつあることを実感します。

 それならば、メモの中から面白いものを解釈抜きで単に材料として提供して置くのも一つの貢献となるのではないか。特に拙著『原理』が大きく依拠した『中国農村慣行調査』は耕作農民(といっても彼らの労働時間のすべてが農業で消化されているわけではないが)の世界を反映しているに対して、徽州文書の背景にあるのは商業による資産蓄積を有する階層の世界であって、家産分割という原理的には同一の事柄が、例えば分割しにくい物件をどう分ける(または分けない)かという一事を取って見ても、微妙な多様性を示すことを知るに及んで、かねてから商業との関連で心に懸かっていた一つの事例を持ち出して見たくなったのです。道光年問、江西省都陽県での一件です。以下に原文と、登場人物続柄の図示と、訳文を掲げます。

沈衍慶『槐卿政蹟』巻五「欺■【人占】滅倫事」

戴蘭廷曁姪光輝沾海恩吉、公共祖遺徳化橋眼薬老店一間。懸壷代遠、聲價頗増。先是伊祖長次三五四股、輪流開售。光輝長房裔。蘭廷五房裔。沾海恩吉次房三房裔。其四房則故絶也。定議別添新肆、則老店退除。嗣五房國美、長房肇美、同置東關外新店。陽以肇美承開、實則國美夥合。老店除出長房、三股輪開。而五房再輪之年、仍歸長房頂業。歴久無改。蓋猶存衰益均平之意焉。迄道光十三年、蘭廷■【手+端−立】新肆之生涯、遠遜老店之興旺。思棄新而専求奮。経族處令長房貼錢十六千、五房隔輪譲頂如故。二十八年、又値五房再輪。長房援例貼錢頂開。■【言巨】蘭廷故計復萌、私圖自便。反捏詞以興控、欲先發而制人。不思伊祖原議、入乎彼者、即除乎此。在長房固別業之卜、而五房亦同術之營。律以議規、應予並出。乃始則得隴望蜀、為三窟之陰謀。繼則舎苦就甘、作兩端之趨避。見利忘義、壟断居奇、亦小人狡黠之尤者己。斷令徳化橋老店生理、二三兩房以三年一輪。長五兩房以六年一輪。長房輪値、毎届仍貼五房頂費。本屆蘭廷■【人占】開五月之久。限十日内、譲交光輝接開。貼項接月扣除、以昭平允。呈約分別發還。各具結状。永免侵爭可也。

    ┌──(肇美)───×───光輝 
    ├────×────×───沾海    括弧内と×印は故人
 ×──┼────×────×───恩吉
    ├────×〔絶〕
    └──(國美)──蘭廷

戴蘭延と姪(おい)の光輝・沾海・恩吉が祖先の遺産として共同で保有する徳化橋の眼薬の老舗一軒があり、創業の古い薬種商として名が知られている。以前、光輝らの祖父の時代に〔この店舗で〕長・次・三・五の四股が輪番に商売することとした。光輝は長房の子孫、蘭延は五房の子孫、姑海・恩吉は次房・三房の子孫であり、第四房は死に絶えて後嗣がない。〔祖父らは〕議定して、将来誰かが別に新店舗を開くならば、その者は老舗の経営から身を退くこととした。その後、五房の国美と長房の肇美が共同で東関外に新店を開いた。表向きは肇美の名で開店したが、実は国美も合資していた。そこで老舗は長房を除外して、三股輪番で商売することとなった。しかし五房が番に当たるうち二度目の年には〔つまり五房の番のうち二回に一回は〕営業権を長房に転譲することとし、それが久しく行われていた。なるほどそこに各房の衰えと栄えを平均にする意味が寵められていたのである。道光十三年になって、蘭延は新店舗の営業を続けても老舗の繁盛には遠くおよばないことを見越して、新しい方は棄てて老舗〔の輪番〕専一に戻りたいと考えた。族人達がこれを調停して、長房をして〔転譲の年ごとに〕銭十六千を〔五房に〕補償させることとし、五房が隔番に転譲することは従来通りとした。〔道光〕二十八年、また五房が二度目の当番の年となったので、長房は前例通り銭を補償して営業権の転譲を受けようとした。ところがかの蘭延はまたもや計略をめぐらし自分だけの利益を図ろうとした。〔理屈で負けると見ると〕却って事由を捏造して訴訟を起こし、先手を打つことによって人を制しようとした。しかし考えても見よ、彼らの祖父たちの原議によって、あちらに入る者はこちらからは除かれるのだ。長房はもとより別の店舗を開設したものであるが、五房とてもまた共同して営業に当たったのである。議定された規約を以て律するならば、両者とも〔老舗から〕除外されるべきである。しかるに始には隴を得て蜀を望んで、三窟の陰謀を為し、継いでは苦を舎て甘に就いて、両端の趨避を作した。利を見て義を忘れ、壟断・居奇するは、また小人狡黠の最たる者だという外はない。断(さばき)として〔以下のように〕命ずる。徳化橋の老舗の営業は、二・三両房は三年に一番、長・五両房は六年に一番とせよ。長房は番に当たる年ごとに五房に〔所定の〕転譲補償〔銭十六千〕を交付せよ。本年は蘭延が不法占拠して営業することすでに五箇月に亘っている。十日を期限として限内に光輝に明け渡し接続営業せしめよ。転譲補償は月数で按分して控除し、公平を期せよ。提出した議定書等はそれぞれ返還する。各人から遵依結状を取り揃え、永く争いが起こらぬようにしたら宜しい。

 本件の老舗をめぐる取り決めは、空間的に分割できない物件を時間的に分割する手法として注目されます。戦時中雲南省における費孝通氏の調査に、祖遠の竹紙製造設備一式(水槽、挽き臼、タンク、乾燥窯など)を兄弟が共有しながら、共同経営ではなく、設備利用の日割りを決めて、原料の手配から、生産工程、製品の販売まで、各自別々に自己計算で、それぞれに人を雇って操業している事例が報告されているのも、同類だと言えましょう(Hsiao−tung Fei&Chih−i Chang,Earthbound China,London,1948,pp.178−181)。しかし製紙のような単なる設備ではなく、顧客への信用を伴った経常的経営体である店舗までを、年度割りの各別操業方式で動かそうとする発想、しかもそれが三世代に亘って機能したという事実には驚きを禁じ得ません。これをどう意味付るかは、なお多くの事例を集めた上で考察すべき将来の課題として置きましょう。

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