『東洋法制史研究会通信』第13号(2001年8月21日)

《記事》

「秋審余滴」補遺

中村 茂夫


 標題の論文「秋審余滴」を『愛大史学』第8号(愛知大学文学部史学科、1999年3月)に発表したが、公刊後間もなく、補遺を必要とする箇所が二点生じた。何れも読者の方からの指摘によるものである。

 その一つは小稿3頁に於て邦文先行研究を掲げたが、島善高「清代の秋審について――董康氏『清秋審条例』の紹介――」(名城大学、教職課程部紀要第23巻、1990年)の存在に触れなかったことである。この論文は副題にある通り、董康氏と『清秋審条例』との紹介が大方を占め、秋・朝審を正面から対象とした研究ではないが、その存在を最小限注記すべきであった。実は拙稿公刊まで私はこの島氏論文の存在を知らず、公刊後、高塩博氏から右論文の抜刷を頂戴して初めて知った次第で、自らの不明を恥じると共に、この場所を借りて、高塩氏には謝意を表し、島氏にはお詫びを申し上げる。

 いま一つは、小稿49頁註(75)に於て、Paul Ratchnevskyの論文は未詳、然るべき図書館に検索依頼の結果、国内には所在しない如しと記した。ところが公刊後、高遠拓児氏(氏については小稿42頁註(6)参照)から、中央大学図書館に存在するとて、複写を恵与された。高遠氏には謝意を表し、これ亦自らの軽率を恥じる次第である。

 恵与の論文を通読したところ、やはりM.J.メイヤー氏が引いた通りで、ラチュネフスキーは写真を複製して載せているが、その典拠たる資料は示していない(小稿25頁)。甚だ珍しく貴重な写真(右掲 *)であるだけに、資料を欠くのは惜しまれる。尚別に、メイヤー氏の原典引用部にtradizioniとあるのは(小稿註(75))、原論文ではtradizionaliとなっている。瑣末なことながら、メイヤー氏の誤植かと見られる。

 以上が本『通信』誌上を借りて、補訂を加える二点である。

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* 編集部注記: 著者と相談の上、WEB版では、原載時に付されていたラチュネフスキー著所収の写真の掲載は見合わせることとした。

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