『東洋法制史研究会通信』第17号(2009年8月18日)

《記事》

滋賀秀三先生を偲ぶ会兼出版記念の会

赤城 美恵子


 滋賀秀三先生が2008年2月25日に亡くなられてからちょうど一年の節目に、先生の遺稿集『続・清代中国の法と裁判』が創文社から出版される運びとなった。これを機会として、先生を偲びつつ、あわせて遺稿集の出版を記念して、中村茂夫先生以下11名が発起人となり、2009年3月6日、学士会館にて、「滋賀秀三先生を偲ぶ会兼出版記念の会」を開催した。

 当日は、あいにくの雨ながら、滋賀先生の奥様である滋賀瑛子様はじめ42名の方々の出席があった。なお、出席とのご返事をいただいていたけれどもご都合により欠席された方が4名、また、出席できないけれどもその代わりとして本代・花代をお送りくださった方が3名おられた。
 受付開始は13:00。まず入り口手前に受付を設け、各出席者にはそこで名札および『通信』第16号をお渡しした。次いで、創文社の久保井正顕氏・松田真理子氏から滋賀先生の遺稿集『続・清代中国の法と裁判』を渡していただいた。会場正面には御遺影を飾り、献花台を設けて、出席者にまずは献花をしていただくことにした。また、会場後方には滋賀先生のこれまでの御著書を展示し、出席者に御覧いただいた。
 会自体は13:30にはじまった。
 司会は高見澤磨先生が務めた。発起人を代表して高見澤先生から会の趣旨等のご説明があり、その後出席者全員で滋賀先生に黙祷を捧げた。次いで、寺田浩明先生から、滋賀先生はすでにご生前からこれこれの論文で遺稿集を作成するようにと指示する書き付けを準備されておられた等々、遺稿集出版にまつわるエピソードなどをお話しいただいた。そして、滋賀瑛子様からひと言いただき、公私ともに長年に亘ってお付き合いのあった星野英一先生のご発声で、献杯となった。
 引き続き、滋賀先生のご指導を受けた弟子の代表として森田成満先生から『通信』16号にご寄稿になった滋賀先生追悼の一文「滋賀秀三先生をしのんで」を朗読していただいた。また、滋賀先生にお世話になった外国人留学生の一人である聶明氏から、日本留学の際に滋賀先生が住居や学資などの面で親身になってお世話してくださったということをお話しいただいた。さらに、滋賀先生の御著書出版で長くお付き合いがあり、今回の遺稿集出版に際してもご尽力いただいた創文社を代表して久保井正顕氏よりスピーチをいただいた。久保井氏のお話の中で、滋賀先生と会うまえには非常に緊張したので、必ずご自宅の傍にある報国寺に立ち寄って竹の庭で気持ちを静めてから伺ったものだ、というお話が印象深く残っている。
 この後、しばし歓談の時間を設けた。会では、ビュッフェスタイル・テーブル着席という形式をとった。
 およそ30分弱の歓談の後、滋賀先生と交流のあった各先生方からスピーチしていただいた。まず、東洋史から、池田温先生に、東大駒場の中国語クラスで毎年夏に行っている中国語合宿に滋賀先生が奥様とご一緒に参加されたときのことをお話しいただき(お持ちになられたお写真は、滋賀先生の御著書とともに会場後方にて披露した)、及び研究に関して滋賀先生が池田先生に送られたお手紙を朗読していただいた。また、籾山明先生からは、籾山先生が滋賀先生の判定型裁判論に基づき論文を書いたところ、滋賀先生はなおご自身の論をも含めて再考察の必要があるとして、「左伝に現れる訴訟事例の解説」(遺稿集第五章に当たる)をお書きになったというお話をいただいた。
 日本法制史の高塩博先生からは、高塩先生が書いた中国の律関係の論文の抜刷を滋賀先生にお送りしたところ、詳細なご返事をいただいたというお話があった。滋賀先生とほぼ同時期に千葉大に赴任された、日本政治思想史の平石直昭先生からは、滋賀先生が漢籍を読むゼミを開いたところ参加者が居なかったために、急遽教員向けのゼミを開催してもらい、そこに参加したのだということをお話しいただいた。また同じく日本政治思想史の渡辺浩先生からは、助教授になって間もない頃に滋賀先生のゼミに参加し、勉強になったというお話をいただいた。
 最後に、滋賀先生の御蔵書を九州大学法学部で受け入れていただくことになった件に関連して、まず、赤城から蔵書目録作成の様子をひと言お伝えし、次いで受入先の九大を代表して植田信廣先生から受入の経緯・情況等についてお話しいただいた。
 会は、奥村郁三先生から閉会の言葉をいただき、予定よりも若干時間が超過したものの、16:00頃に散会となった。

 なお、筆者(赤城)が『通信』16号に寄稿した一文中に、滋賀先生が2006年1月の学士院例会で報告予定であった「汪輝祖――人とその時代」について、書架にはその報告原稿も残されていた旨を記したところ、偲ぶ会の席上でそれを御覧になった星野英一先生から奥様に、ぜひ『学士院紀要』に掲載したいというお申し出があったそうである。ご蔵書の九大への搬出の準備のためご自宅に伺った際に奥様から相談を受け、ともかく原稿(滋賀先生の自筆である)を寺田浩明先生にお送りしてご判断いただこうということになった。その後、寺田先生から、原稿はテキストデータにおこして整理した上で星野先生にお送りしたこと、また星野先生から寺田先生に対して、確定原稿及び星野先生による「はしがき」は学士院の事務局にすでに提出済みであり、紀要の次号に掲載予定であるとのご連絡があったことをお聞きした。この場を借りて、報告させていただく。


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