『東洋法制史研究会通信』第17号(2009年8月18日)

《記事》

『宋史』列伝中の配役関係記事

川村 康




 北宋中期以降における配役執行の有無について、今は亡き滋賀秀三会員の主張を「配役不執行説」と決めつけ、蟷螂が斧を振りかざすごとくに「論争」を挑んだことがある(1)。滋賀会員は「論争」などと思っては下さらなかったようで、いちおうの評価はしていただいたものの、結局は「配役不執行説なんど誰も主張するわけでないし、私見の言い過ぎを少し修正すれば、私見と川村氏の状況認識は、実はかなり近いのではないかと思われてならない(2)」と去なされてしまったのであった。

 それはともかく、『宋史』列伝に記された配役に関する記事について、我が国の研究者は言及してきていないと思われる。筆者がこれまで『宋史』列伝を参照しなかったのは、「あるはずがない」との思い込みからであったが、調べてみれば見つかるものである。「配役執行説」なんど主張しながらも史料探索を怠ってきた者の責めの一端なりともを果たすため、6点の記事を列挙しておきたい。
 ①②④⑥は北宋太祖・太宗朝の配役が現実の刑罰として執行されていたことが確実な時期のものであって、北宋中期以降の配役執行を証拠立てるものではない。⑤は南宋高宗即位当初のものであるが、戦乱の最中であるから、現実に執行されたかどうかは疑わしい。③は南宋孝宗期の配役の執行をかなり強くほのめかすが、具体的な執行例ではない。北宋中期以降の配役執行を実証する史料は、やはりまだまだ少ないのである。

①『宋史』巻274、列伝33、張延通
開宝中、為西川兵馬都監。太祖以蜀寇未平、命同内客省使丁徳裕・引進副使王班・内臣張嶼領兵屯蜀部。徳裕頗専恣、延通面質其短、徳裕銜之。又与張嶼不協、延通亦為和解之、徳裕疑延通与嶼為党、益不悦。……徳裕頗疑懼、遂奏延通嘗対衆言渉指斥、且多不法事、指嶼為党。太祖怒、即収延通・張嶼及王班下御史台鞫之、延通等引伏。太祖始欲捨之、及引問、延通抗対不遜、遂斬之。嶼・班并内臣王仁吉並杖脊、嶼配流沙門島、班許州、仁吉西窰務、時開宝二年也。

②『宋史』巻276、列伝35、張平
平、好史伝、微時遇異書、尽日耽玩、或解衣易之。及貴、聚書数千巻。在彭門日、郡吏有侮平者数輩、後悉被罪配京窯務。平子従式、適董其役、見之、以語平。平、召至第、為設酒饌労之、曰「公等不幸、偶罹斯患、慎勿以前為念」。給以緡銭、且戒従式善視之。未幾、遇赦得原、時人称其寛厚。

③『宋史』巻387、列伝146、黄洽
除御史中丞。……潭州奏彊盗罪不至死応配者坐加役流、有旨具議。洽曰「彊盗異他盗、以其故為也。若止髠役、三年之後、圏檻一弛、豨突四出、善良受害、可勝数耶。況役時必去防閑之具、走逸結合、患尤甚焉」。上深然之。

④『宋史』巻441、列伝200、文苑3、刁衎
太平興国初、……詔復本官、出知睦州桐廬県。会詔羣臣言事、衎上「諫刑書」、謂:淫刑酷法非律文所載者、望詔天下悉禁止之。巡検使臣捕得盗賊・亡卒、並送本部法官訊鞫、無得擅加酷虐。古者投姦凶于四裔、今遠方囚人尽帰京闕、以配務役、最非其宜。且神皐勝地、天子所居、豈使流囚於此聚役。自今外処罪人、望勿許解送上京、亦不留於諸務充役。又礼曰「刑人於市、与衆棄之」。則知黄屋紫宸之中、非用刑行法之処。望自今御前不行決罰之刑、殿前引見司鉗黥法具、並赴御史台・廷尉之獄。勅杖不以大小、皆引赴御史・廷尉。京府或出中使、或命法官、具礼監科、以重聖皇明刑慎法之意。或有犯刼盗亡命、罪重者刖足釘身、国門布令。此乃小民昧於刑憲、逼於衣食、偶然為悪、義不及他、被其惨毒、実傷風化、亦望減除其法。如此則人情不駭、各固其生。和気無傷、必臻上瑞。

⑤『宋史』巻475、列伝234、叛臣上、張邦昌
(李)綱又力言「邦昌已僭逆、豈可留之朝廷、使道路目為故天子哉」。高宗乃降御批曰「邦昌僭逆、理合誅夷、原其初心、出於迫脅、可特与免貸、責授昭化軍節度副使、潭州安置」。初、邦昌僭居内庭、華国靖恭夫人李氏数以果実奉邦昌、邦昌亦厚答之。一夕、邦昌被酒、李氏擁之曰「大家、事已至此、尚何言」。因以赭色半臂加邦昌身、掖入福寧殿、夜飾養女陳氏以進。及邦昌還東府、李氏私送之、語斥乗輿。帝聞、下李氏獄、詞服。詔数邦昌罪、賜死潭州、李氏杖脊配車営務。(王)時雍・(徐)秉哲・(呉)幵・(莫)儔等先已遠竄、至是、併誅時雍。

⑥『宋史』巻478、列伝237、世家1、南唐李景
及太祖平揚州、日習馬舫戦艦於京城之南池、景懼甚。其小臣杜著頗有辞辨、偽作商人、由建安渡来帰。又彭沢令薛良坐事責授池州文学、亦挺身来奔、献「平南策」、景聞之益懼。太祖命斬著於下蜀市、良配隷廬州衙校、景乃安。

 (1) 川村康「宋代配役考」(『法と政治』51巻1号、2000年)。なお、辻正博「宋代の流刑と配役」(『史林』78巻5号、1995年)参照。
 (2) 滋賀秀三「刑罰の歴史」(『中国法制史論集:法典と刑罰』創文社、2003年)339-340頁註(41)〔補訂〕。

 

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