『東洋法制史研究会通信』第17号(2009年8月18日)

《記事》

国立国会図書館蔵『本庁審察紀事稿』について――ある秋審成案集の紹介――

高遠  拓児


 清代中国では、多年にわたって蓄積された裁判の先例(成案)を編集・付印し、法実務家たちの参考に供する試みが盛んに行われていた。監候死刑囚を対象とした秋審についても、刑部に集積された成案に由来する書物を種々確認することができる。論者はかつて、こうした秋審の成案集のうち、清末に相ついで刊行された『秋審実緩比較成案』『秋審実緩比校条款』『秋審比較彙案』『秋讞輯要』の4件について、些かの書誌的考察を加えたことがあった(1)。その際、6020件と比較的多数の成案を収録し、伝本も多い同治12年刊『秋審実緩比較成案』について、刑部の作成にかかる秋審文書「不符冊」が、その収録成案の主要な素材となっていたことを明らかにした。この「不符冊」は、各地方から上されてきた秋審の原案と中央の刑部の見解が一致しない(不符)事案と、刑部がとくに検討を要する(応商)と判断した事案を対象として作成された文書であり、秋審の判断の最も微妙な案例が集約される性格のものであった(2)。現在伝存が確認される「不符冊」は、清代後半の数ヶ年分のものに限られるが、論者の前稿「清末における秋審成案の刊行について」では、道光27年の「不符冊(3)」と『秋審実緩比較成案(4)』の収録成案について対照作業を行い、両者の間に明確な対応関係があることを確認した。このほか清末に刊行された成案集のなかでは、光緒6年刊『秋審比較彙案』、光緒7年刊『秋審実緩比較成案続編』、光緒10年刊『秋審比較彙案続編』などが、この『秋審実緩比較成案』とほぼ同体裁の成案を収録しており、これらもまた主として「不符冊」に由来する成案を集成した書物であったと考えられる。もっとも、これらの刊本は突如として現れたものではなく、その編集・出版の前段階には、刑部官僚などの手によって鈔写された複数の秋審成案集が存在していたようである。例えば、国立国会図書館の所蔵する『各省秋審実緩案冊』(鈔本、11冊)と『本庁審察紀事稿』(鈔本、8冊)などは、そうした刊本に先行する秋審成案集の面貌を我々に伝えてくれるものではないかと思われる。すなわち、『各省秋審実緩案冊』は乾隆年間後半から嘉慶年間、『本庁審察紀事稿』は乾隆年間後半から道光年間の成案を集成したものであり、清末に刊行された成案集にはあまり収録されない嘉慶以前の成案を多数収録している点に特色があるのである。とくに後者は、清代後半期における秋審成案集の編集経緯などについて、興味深い情報を含むものとなっている。論者の前稿では、かかる鈔本としての秋審成案集については言及することができなかったので、本稿ではその補足も兼ね、この『本庁審察紀事稿』という史料について紹介することとしたい。

 さて、この『本庁審察紀事稿』は8冊の鈔本から成り、前述の通り、現在、国立国会図書館が所蔵している(5)。序・跋の類はなく、編纂の由来や関与した人物についての情報は明記されない。本書は不分巻であるが、各冊の表紙には「首冊」~「八冊」の通し番号が墨書され、一応の配列が示されている。各冊には目録が付され、そこに記された事案類型ごとに秋審成案を整理・列挙する体裁が取られている。この目録に従って8冊の構成を示せば下記の通りである。
  首冊  強搶窃(さらに16項に細分。以下同)・拒補(16項)
  二冊  共殴(21項)・誣告訛詐(11項)
  三冊  服制(20項)・夫妻(7項)・名分(18項)・謀故殺(6項)
  四冊  闘殺下(35項)
  五冊  闘殺上(35項)
  六冊  服制門(16項(6))・各項情軽及各項死罪門(13項)・強盗窃盗門(11項)・姦匪斃命門(7項)・金刃他物各傷門(16項)・各項匪徒斃門(6項)・各項(25項)
  七冊  緦麻服制以下69項(本冊では各項目を分門する体裁は取られない)
  八冊  服制(12項)・夫妻(5項)・名分(8項)・謀故殺(2項)・減釈復犯(5項)・雑犯(4項)・誣告訛詐(7項)・強搶窃(6項)・拒補(6項)・拐搶(4項)・姦情(12項)・商矜(9項)・闘殺(49項)・共殴(18項)
 この史料は、個々の収録成案について逐次年次を注記している「首冊」~「五冊」と、年次の注記を欠く「六冊」~「八冊」に大きく区別される。前者に収録されるのは、乾隆45年より道光19年までの成案で、とくに嘉慶・道光年間のものが多数を占めている。一方、後者には、主として道光20年代の成案が整理されており、一度前者が編輯された後に、三次にわたって後者を追補していったものと考えられる(7)。なお、「四冊」「五冊」の上下が倒置していることと、「首冊」~「五冊」の凡例(後述)に相当する文章が、「三冊」の冒頭に記されていることなどから、本史料の前半5冊の配列は本来のものではなく、後人があまり内容を参酌せずに便宜的に付した可能性が高い。また、本書の『本庁審察紀事稿』という表題も、この冊番号ととともに表紙に墨書されるのみのものであり、史料の本文中にこれを確認することはできない。率直に言って、やや要領を得ない書名となっているが、これも冊番号と同じく、後人の筆によるものと考えておくのがよいように思われる。

 さて、「三冊」の冒頭に見える凡例は、以下の5項であり、これらは本書前半の5冊に通用する内容となっている。
  一、硃筆圏出者、其実・緩・減軍・減流核対無悞。無圏者、未曾査出也[割注省略]。
  一、不書年号者、倶係道光。
  一、照実・照緩者、只写実・緩。改実緩者、倶有改字。
  一、十五、六年実緩均無錯悞、無須硃圏。
  一、未入者、外実照実、未入不符冊也。
 基本的には記述の省略や校正上のルールなどを示しているわけだが、ここで興味深いのは、最後の項目に、「未入は、外実照実にして、いまだ不符冊に入らざるなり」と、秋審成案集の凡例として「不符冊」の語が表れていることである。「外実照実」とは、外省の当該事案に対する見解が情実(外実)であり、刑部の見解もこれを承認(照実)したことを指す。このように外省と刑部の見解が一致した事案については、「不符冊」には載録されず、ここではかかる事案をとくに「未入」と注記すると述べているのである。そして、実際に本書前半の5冊には「未入」と注記される事案が散見されるが、その数はごく少数であり、例えば、この凡例が載る「三冊」収録の成案688件中「未入」は僅か10件に止まっている。換言すれば、収録成案688件中678件は「不符冊」に由来を求めうる成案であるということになろう。ただ、本書の編者は「不符冊」を中心とする刑部の原資料から成案を転写する際、文言を可能な限り省略する方針を持っていたようで、同治12年刊『秋審実緩比較成案』との重複事案について比較照合すると、『本庁審察紀事稿』ではかなり表現が短縮されていることがわかる。
 なお、本書ではその欄外にところどころ「方本作・・・」と、「方本」という他の成案集と照合した上での校正メモの如き注記が確認される。「方本」の詳細は不明だが、本書編述時には、すでに複数系統の秋審成案集が併存する状況が生じていたようである。

 以上、『本庁審察紀事稿』の概要を紹介してきたが、収録成案の年代と大きく前後半に分かたれる史料の全体構成から、本史料(もしくはその原本)の成立時期は道光年代後半、数次にわたる追補作業を経て成立した書物と見てほぼ誤りはないであろう。また、凡例の文言から、編述にあたった人物が「不符冊」との対応関係を意識していた様子も確認し得たが、複数年にわたる刑部の内部文書「不符冊」を参照していたのであれば、その編者は刑部関係者、おそらくは総辨秋審処あたりの係官であった可能性が高いように思われる。そして、この『本庁審察紀事稿』では、文言の省略などに独特の癖があり、後世の刊本との間に直接の継承関係を見出すことはできないが、清代後半期には本書や「方本」など、秋審の成案を整理する試みが刑部を中心として繰り返されており、そうした試みの先に同治12年刊『秋審実緩比較成案』などの諸刊本が生まれてくるものと考えられる。本書の存在は、鈔本史料としての希少性や、秋審との直接の関わりを示唆しないその書名などから、従来の研究では見過ごされてきたが、上記のように秋審成案集の編纂経緯について、一考に値する情報を含むものであるので、ここに紹介のための一文を草した次第である。

 (1) 拙稿「清末における秋審成案の刊行について」(中央大学『アジア史研究』第26号、2002)。
 (2) 現存する「不符冊」の実際については、拙稿「清代の刑部と秋審文書」(川越泰博編『明清史論集-中央大学川越研究室二十周年記念』国書刊行会、2004)を参照。
 (3) 東京大学東洋文化研究所蔵『各省不符冊』不分巻(道光27年、6冊)。
 (4) 東京大学東洋文化研究所蔵『秋審実緩比較成案』24巻(同治12年刊、24冊)。
 (5) 請求記号322.22-H641。『国立国会図書館漢籍目録』では、史部・政書類・法令之属に分類されている。
 (6) 「六冊」~「八冊」には、巻頭の目録上には記載されるが、対応する案例が存在しない項目も若干確認される。ここでは便宜上目録記載の項目数をそのまま数えた。
 (7) 全ての事案について確認したわけではないが、道光年代後半の成案を比較的多く含む同治12年刊『秋審実緩比較成案』と対照作業を行ってみたところ、『本庁審察紀事稿』の「六冊」~「八冊」には道光20年代の成案が集中的に収録されていることがわかった。また、この3冊はそれぞれ項目の分類法が異なるため、同時期に成立したものとは考えがたい。とくに「六冊」には道光24年、「七冊」には25年、「八冊」には26年の事案が多く、年次ごとに行われた追補作業を基礎にして成立したのが、この「六冊」~「八冊」の部分なのではないかと思われる。
 

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