『東洋法制史研究会通信』第24号(2013年8月)

《評言》

川村康「唐戸婚律16条臆談」を読んで

中村  正人



 『東洋法制史研究会通信』23号に掲載された川村康氏の「唐戸婚律16条臆談」は、戸婚律16条(盗耕種公私田条)から始まる3箇条の問題点や特殊性を指摘した短編であるが、「山椒は小粒でピリッと辛い」の喩えどおり、まさに蒙を啓かれると同時に、普段自分がどれほどいい加減に律を読んでいるかを思い知らされる好論であった。川村氏の論旨に対しては、「南朝系と北朝系の律を融合させるときに生じた問題などを反映しているのかもしれない」とする仮説部分も含めて、概ね首肯し得るところであるが、ただ一点、同条の律疏文言の解釈に関して(厳密に言えば、律本文の解釈に関しても)、筆者は川村氏とは異なる見解を有している。以下その点について論じてみたい。  川村氏の論旨の詳細については、前号の記事を参照していただくとして、筆者が疑問に思うのは、「一畝以下笞三十。五畝加一等。三十五畝有餘杖一百。過杖一百、十畝加一等。五十五畝有餘罪止徒一年半」という律疏文の解釈についてである。川村氏は、戸婚律16条を素直に解釈すると、名例律56条の「数満乃坐」の原則を逸脱し、また実質的に46畝超で「罪止」である徒一年半に達してしまうという不都合が存在する(表1の律条の項参照)ことから、律疏は笞四十に達する畝数を「五畝有餘」すなわち5畝超と解して加等を進めている(表1の律疏の項参照)と述べている。

 なるほど、笞四十となる畝数が5畝超からであると解すれば、確かに「数満乃坐」の原則は一応維持され(ただし、後に述べるように完全にではない)、「罪止」の畝数に関する疑問も解消することになる。しかしながら、川村氏自身も指摘しているように、笞四十となるのが5畝超からであるとすれば、1畝超・5畝以下に対応する刑罰に空隙が生じてしまう。川村氏は、挙軽明重の法理で解決できるとしているが、もしそうであるならば、そのことに関して律疏が一言も言及していないのは理解に苦しむところである。すなわち、律疏はこうした解釈上の疑義が生ずる点に関しては、かなり丁寧に注釈を加えるのが常であることからすると、もし律疏が笞四十の適用範囲を5畝超からと考えているのであれば、空白となる1畝超・5畝以下の範囲については挙軽明重の法理が適用されて笞三十となる旨の説明があってしかるべきであるのに、それについて黙して語るところが全くないのは、あまりにも不自然ではなかろうか。

表1 川村氏の解釈による律条と律疏における各法定刑の畝数対応表
律条律疏
笞三十 1畝以下 0畝超・ 1畝以下 1畝以下 0畝超・ 1畝以下
笞四十 6畝以下 1畝超・ 6畝以下 5畝有餘 5畝超・10畝以下
笞五十 11畝以下 6畝超・11畝以下 10畝有餘 10畝超・15畝以下
杖六十 16畝以下 11畝超・16畝以下 15畝有餘 15畝超・20畝以下
杖七十 21畝以下 16畝超・21畝以下 20畝有餘 20畝超・25畝以下
杖八十 26畝以下 21畝超・26畝以下 25畝有餘 25畝超・30畝以下
杖九十 31畝以下 26畝超・31畝以下 30畝有餘 30畝超・35畝以下
杖一百 36畝以下 31畝超・36畝以下 35畝有餘 35畝超・45畝以下
徒一年 46畝以下 36畝超・46畝以下 45畝有餘 45畝超・55畝以下
徒一年半 56畝以下 46畝超 55畝有餘 55畝超

 更に細かいことを言えば、川村氏が言うように律疏が刑名の空隙を生じさせてでも強引に「数満乃坐」の原則との整合性を図ろうとしたのであれば、なぜ笞三十に関してだけは「数満乃坐」の原則との整合性を図ろうとはせず放置したままなのであろうか。この点も筆者にとっては疑問の残る部分である。

 それでは筆者の見解はどのようであるかと言えば、私見では、律疏は何も特別な解釈をしているわけではなく、先に引用した律疏の文言は、単純に条文に書かれている内容を文言どおりに敷衍して説明しているに過ぎないものだと考えている。ただし、そのように考える場合前提となることが一つある。それは、戸婚律16条にいう「一畝以下」は、川村氏が述べているような現代日本語の「以下」と同じ意味で用いられているのではなく、「その基準数量を含まずそれより少ないという場合」、すなわち現代日本語で通常「未満」と表現される意味で用いられている(少なくとも律疏はそのように解釈している)ということである。なお、この点に関しては非常に重要であるので、後に改めて論じることとしたい。

 仮に先に述べた前提が正しいとすると、戸婚律16条の規定によれば、杖一百までは5畝ごとに一等を加えることになるので、1畝未満に5畝を加えた6畝未満で笞四十となる。ただし、この6畝未満というのは、川村氏も指摘しているように、笞四十となる上限値であることに注意しなければならない。すなわち笞四十に該当する範囲は1畝以上・6畝未満ということになる。ところで、6畝未満というのは、すなわち「5.999…畝」以下ということであり、具体的には「5.x畝」の土地ということになるが、この「5.x畝」というのが律疏のいう5畝「有餘」の意味である。すなわち、笞四十となる範囲は1畝以上・5畝有餘までということになる。以下5畝ごとに加算していくと、笞五十の上限値は11畝未満(=10畝有餘)、杖六十の上限値は16畝未満(=15畝有餘)……というように増えて行き、杖一百の上限値は36畝未満(=35畝有餘)となる。そしてここから先は10畝ごとの加算となるので、徒一年の上限値は46畝未満(=45畝有餘)、そして「罪止」となる徒一年半の上限値は56畝未満(=55畝有餘)となる(詳細については、表2参照)。まさに疏文中に、「三十五畝有餘杖一百……五十五畝有餘罪止徒一年半」とあるとおりである。律文と疏文との間に一切齟齬は生じていない。

表2 筆者が考える戸婚律16条の法定刑と対応する畝数
法定刑加算する畝数対応する畝数の範囲
笞三十5畝ごとに一等を加える 0畝超 ~ 1畝未満
笞四十 1畝以上~ 6畝未満(= 5畝有餘)
笞五十 6畝以上~11畝未満(=10畝有餘)
杖六十 11畝以上~16畝未満(=15畝有餘)
杖七十 16畝以上~21畝未満(=20畝有餘)
杖八十 21畝以上~26畝未満(=25畝有餘)
杖九十 26畝以上~31畝未満(=30畝有餘)
杖一百 31畝以上~36畝未満(=35畝有餘)
徒一年10畝ごとに一等を加える 36畝以上~46畝未満(=45畝有餘)
徒一年半 46畝以上~56畝未満(=55畝有餘)

 もちろんこのように解した場合、川村氏が指摘した「数満乃坐」の原則との抵触の問題や、「罪止」の刑罰に達する畝数が実質的には55畝有餘よりもかなり少なくなるという問題は依然として未解決のままに残ることになる。しかしながらこれは、そもそもスタートラインである笞三十となる畝数を「一畝以下」と規定したことに起因する根本的な問題であり、端的に言えば立法上の不備としか言いようのないことである。律疏は、戸婚律16条の規定が名例律56条の規定と矛盾している事実にそもそも気がついていなかったのか、あるいは(恐らくこちらの方が可能性としては高いと思われるが)気づいてはいたがその矛盾を解消することは不可能である一方、官撰註釈書としての立場からは、公然と立法上の不備であると指摘することもできず、あえてこの問題に触れないようにしているのではないかと推測される。

 ただ問題なのは、先に留保しておいたとおり、「一畝以下」という律の文言を、1畝を含まずそれよりも小さい数、すなわち現代日本語でいう1畝未満の意味に解釈することが可能か否かである。この点に関して一つ参考となるのは、川村氏が引用している銭大群氏の注釈に「1畝および1畝以下は笞三十」とある点である。「1畝および1畝以下」という言い方からすると、銭氏が「1畝以下」という言葉を我々がいう「1畝未満」の意味で用いていることは明白である。そうであるならば、少なくとも中国語では「以下」という言葉が、「その直前の数量を含まずそれより少ないという場合」に用いられる、つまりは「未満」の意味で用いられることもあり得るとは言えよう。

 しかしながらここで重要なのは、中国語全般の話ではなく、『唐律疏議』において(ないしは唐代において)「以下」という用語が「未満」の意味で使用されることがあったか否かであろう。この点に関して、『唐律疏議』のデータベースにて検索したところ、「○○以下」の用例が同書内におよそ330例存在するが、そのほぼすべてが川村氏も指摘しているように我々と同じ意味、すなわち「その基準数量を含んでそれより少ないという場合」に用いられていた。中には当該基準数量(ないしは概念)を含んでいるのかいないのか、文脈からだけでは断定することができないものも存在しているが、しかしながらそれらにしても、明らかに我々と同じ「以下」の意味には解釈できない、換言すれば、「未満」の意味に解釈しなければ文意が通じないというような例は一件も存在していない。

 ただし、「不満○○以下」という形であれば、「未満」の意味で用いられている例が存在する。一例を挙げれば、断獄律25条の疏文中に獄官令として引用されている条文に、

……若応徴官物者、準直五十疋以上一百日、三十疋以上五十日、二十疋以上三十日、不満二十疋以下二十日云々(下線は筆者による)

とある。これは、官物を徴収する際の納入期限を定めた規定であるが、当該官物の価額が二十疋以上(三十疋未満)の場合の納付期限が三十日間であることとの対比で、「不満二十疋以下」の場合には二十日間と規定されていることから、この「不満二十疋以下」が20疋未満の意味であることは明らかである(1)。

 同様の用例は雑律14条の疏文中にも見られるが、こちらもやはり全体の文脈から考えて「未満」の意味で用いられていることに疑いはないため、頭に「不満」の二文字が付けば、「○○以下」は「○○未満」の意味で用いられると考えてよさそうである。しかしながら、言うまでもなく戸婚律16条の規定は「不満一畝以下」ではなく、単に「一畝以下」である。果たして「不満」の二字が付かない「一畝以下」を「一畝未満」の意味に捉えることが可能であるのか、これ以上の考察は今の筆者には少々荷が重過ぎるところであるので、本稿での議論はひとまずここまでとしておく。唐代における「以下」の概念について詳しくご存知の方がおられれば、是非ご教示願いたい。

(1)もっとも、この規定で用いられている「以上」という概念が、実は我々が通常用いる「以上」の意味ではなく、「超」の意味で用いられているという可能性も全くないわけではなく、そうなると「不満二十疋以下」の意味も当然変わってくることになるが、そのような議論はいたずらに話を複雑にさせるだけであるので、ここではその可能性は考慮しないこととする。

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