『東洋法制史研究会通信』第25号(2014年4月)

《記事》

教室での歳月

──東洋法史の講義を通じて──

岡野  誠



 私は1976年明治大学法学部助手に採用され、その後今日に至るまで、東洋法史(本務校での正式名称は「法史学(東洋)」)の講義を担当してきた。時の流れは速いもので、間もなく40年になろうとしている。

 今回一教員としての感慨を寄稿するように求められたが、いざ執筆しようとすると、なかなか筆が進まない。そこでこれまでの教員歴を三区分し、第1期:1976年度~1984年度(9年間)、第2期:1985年度~2000年度(16年間)、第3期:2001年度~今日(13年間)としてみた。

 第1期のうち、最初の2年間は助手時代で授業担当はなく、最後の2年間は在外研究(中国・イギリス等)に従事していたため、実質的に授業を行ったのは5年間だけである。この時期は、東洋法史の概説と唐代を中心とする歴史と法制史に力点を置いて講義していたように思う。テキストはなく、すべて板書であったので、毎時間チョークの粉を大量に浴びた。私にとっては文字通り試行錯誤の時代である。

 第2期になると、在外研究から戻り、もう少しまとまりのある講義を行いたいと思い、年間講義を総論と各論に分け、総論では法史学の位置づけ、時代区分、主要な研究者の人と業績を紹介し、各論では先秦から隋唐に至る法源に焦点をあて、レジュメと資料コピーを作成して受講生に配布した。

 この期間は総じて教育・研究等でも張り切り、1985年春には有志と共に法史学研究会を立ち上げ、1996年には『法史学研究会会報』の刊行が始まった。公私ともに比較的順調であったが、こういう時に限って人生落とし穴がある。2000年秋に過労で倒れ救急車で病院に運ばれた。医師からは24時間以内に死亡する可能性もあると通告され、頭から血の気が引いた。幸いこの予測は外れたが、それから2年近く体調不良に悩まされ、教育・研究にも影響した。この間西洋医のほか鍼灸医にもかかり、東洋医学に関する本を読み漁ったりした。このように第2期は、文字通り天井からどん底へという感じであった(拙稿「法史学の現状と課題、そして若干の可能性」『法制史研究』51、2002は、ひょっとすると私の遺作になるかと思いながら書いたものである)。

 続く第3期は、回復と用心の時代で、正直無理がきかなくなった。講義は第2期で作成したレジュメと資料を、毎年少しずつ修正しながら使用しているが、近年は前期・後期各2単位となったため、総論を聴かずに各論のみの学生もいて、些か講義しにくい感がある。また2004年度から法科大学院での講義(半期2単位)も始まった。数年前からは受講生のニーズと当方の負担を考え、隔年講義に改めた。

 さてこの三十有余年、大学自体も学部学生、大学院生の気質もかなり変ってきたように感じるが、こちらも年々歳を重ねるので、定点観測とはゆかない。非常に大雑把な言い方をすれば、この十年くらいの間は、学部講義の試験やレポートにおいて、こちらが驚くようなものがない。その背景にはやはり日本の経済状況の厳しさ、それに影響されての就職問題の深刻さがある。そのため学生達の関心は、資格とか実用的な分野に集中し、総じて基礎法学には興味を持つことができなくなり、受講生も減少する傾向にある。

 それ以前はどうかと言えば、本人の読書量や独自な思考を窺わせる素晴しい答案があった。ある年など、当方から大学院への進学を勧めたいケースがあったが、すでに就職が決っていて、将来への保証が全くない研究者コースでは太刀打ちができない。このような魅力的な答案を書く学生がこれまで数名いたが、そのような学生に限って、自らの進路が明確であることが特徴的である。

 大学院進学者は、私の知る限りでは、漠とした思いで大学院の門をたたく。実は私もそのような人間の一人であったので、他人のことをとやかくは言えない。そもそも東洋法史のような研究分野は、明確な将来ビジョンとは縁遠いもので、分野自体が霞たなびいており、そこに些か夢があるのかも知れない。

 現在中堅・若手の東洋法史の教員が直面することは、恐らく学部に関して言えば、受講生の中国に関する知識の低下・欠如であろう。歴史・宗教・文学に限らず、一般に中国についての基礎的知識が著しく欠けている。それ以前に漢字嫌いが多い。これらは全国規模で生じている基礎教養の変質と関連があろう。加えて周知のごとく日中間の政治的対立が、学生達の中国への関心をさらに低下させており、一時期あれほど話題となった大学における中国語の受講生数も、今や頭打ちと聞く。

 要するに現在および将来、大学で中国法史を担当される方々には「逆風の時代」がかなり長く続くと言える。こうした状況への根本的な対応策はすぐには思いつかず、中堅・若手の方々の討議・検討に委ねたい。個人としてできることは、漠然とした言い方ではあるが、やはり講義やゼミの中で、東洋法史の面白さ、奥深さを、学生に知ってもらい、さらに一歩踏み込んでもらうような取り組みを続けるしかないであろう。

 一方院生については別の少し困った問題がある。それは重要史料を精読せず、データベースから安易に引用して、原典と照合せずに論文やレポートに使用することである。私は時々彼等の引用する史料の典拠を訊くが、自らが引用している史料に関して、満足な答えはない。またコンピュータによって、短時間に沢山の史料を集められるためか、一見すると内容豊富な論文・レポートなのだが、実際のところ引用している本人がそれらを正確に読めない、という奇妙なことがある。正史のデータベース等は大変便利ではあるが、その利用法を誤ると、逆効果となる。

 このように今後東洋法史を含む東洋学は、現代社会の要請とコンピュータ技術の発展の影響により、大きく変容してゆくであろうと思われる。それがどの方向に進むのか、私には全く見当がつかない。それでも10年に1人くらいは、日本のどこかの大学に「変人」が出現し、東洋法史に興味を持ち、やがて研究を大きく推進してくれるのではないかという、淡い期待を持っている。

( All rights reserved by the author )

back to INDEX