『東洋法制史研究会通信』第25号(2014年4月)

《記事》

東洋法制史教育の経験と課題

鈴木 秀光



 現在の大学教育において、教員が多かれ少なかれ意識しなければならないことの一つとして、学生の授業内容に対する関心の度合いが挙げられる。授業内容に関心が高ければ学生はその授業に対して積極的に取り組むこととなり、その結果、授業内容に対して理解が深まりさらに関心が高まるという好循環が生まれる。しかし授業内容に関心が低ければ授業に対しても消極的になり、結果、理解が深まらず関心がさらに失われていくという悪循環が生じる。大学や分野にもよろうが、授業内容に関心の高い学生が履修者の大半を占めるという理想的な状況が想定しづらくなる中、授業内容の質もさることながら、それ以前の課題として学生に授業内容へ関心を抱かせることもまた必要なのではなかろうか。

 こうした見地から筆者が意識的に行っていることとして、史資料の活用と既存知識との連関が挙げられる。

 前者の史資料の活用であるが、授業で扱う内容について文章や会話のみでそれを説明しようとすると、どうしても無味乾燥になりがちで学生の関心を引き付けることが難しい。そこで授業内容について可能な限り臨場感を持たせることで関心を引き付けるべく行っていることが史資料の活用であり、具体的にはビジュアル資料や史料現物ないしそれに類するものを教材として用いている。

 ビジュアル資料の中心は絵図である。自分が授業において中心的に扱う清代は、周知のように刑罰に関する様々な絵図が存在するほか、『点石斎画報』などにも関連する絵図が数多く存在する。刑罰に関してあまりに残酷な描写のものは授業で用いるに適さないが、筆者が先に鎖帯鉄桿に関して研究した際の経験からしてもこういった絵図の有無により理解度が異なってくることは明らかであるため、活用できる絵図は教材として授業内で積極的に用いることとしている。また同様に、州県衙門の構造を説明する際、地方志等に掲載されている衙門の見取図を用いている。

 史料現物ないしそれに類するものとして挙げられるものは、「古文書」や档案である。清代の「古文書」は契約文書を中心に中国の古物市場で数多く出回っている。もちろん筆者に真贋を見極める能力があるわけではないが、中国へ渡航した際にそうした「古文書」のうち安価のものを購入し、授業の際に教材として用いている。実際に教材に用いているものは「売」、「典」の契約文書や家産分割文書であるが、それらを用いる際、「真贋は必ずしもはっきりしないが、贋物であったとしてもこのような形式のものを用いていたはずである」ことや、「この場合の贋物とは、現代において営利目的で製作しているもののみならず、当時において偽りの権利主張をするために製作されたものも含まれる」ことなどを併せて指摘している。

 授業で用いる档案とは、マイクロフィルムから印刷した淡新档案である。淡新档案を用いるのは単に入手しやすいからという理由であるが、マイクロフィルムと現物との格差が大きいとされているため、他に使用可能なものがあればそちらの方が望ましいのかもしれない。しかしながら呈状や遵依結状の形式などは、淡新档案のマイクロフィルムを印刷したものからでも十分に見てとることができる。こうしたものを用いることによって、当時実際に用いていたものに対するイメージを学生に抱かせることができるであろう。

 筆者が意識的に行っていることの二つ目として挙げられる既存知識との連関であるが、具体的には、授業内容と高校世界史までの知識とを可能な限り結びつけられるように、授業内容からして不可欠ではない情報に言及したり、既存知識と関連可能な史料を用いたりしている。例えば淡新档案に出てくる「光緒二十年」という年号について、「これは西暦に直すと1894年で、この夏から日清戦争が始まって翌年の下関条約によって台湾は日本に割譲されるため、その直前の頃の話である」といったことに言及する。また家産分割に関して、筆者が購入した「古文書」以外にも、高校世界史では頻出であろう林則徐が関係する家産分割文書を用いている。

 以上、筆者が授業において意識的に行っていることを簡単に説明したが、このようなことは多くの先生方がすでに実行していることであって特に目新しいことは無いと思われる。しかしそういったものであっても一定の効果が得られているであろうことは、試験を行った際に常に授業に出席している学生の答案を見れば明らかである。したがって、こういった教員としての努力は全くの徒労とは言えないのであろう。

 ただ他方で、「常に授業に出席している学生」にしか効果が得られないということがむしろ課題ではないかと思われる。筆者の担当する授業は3、4年次配当であるが、3年の後期以降、長期化する就職活動によって出席したくても出席できない、あるいは不定期にしか出席できないといった学生が相当数存在する。そのため、「出席しないのだから出来なくて当然」とは一概に言いづらい状況になりつつある。このことは必ずしも東洋法制史教育に限られることではないが、出席する学生と出席できない学生との間でどのようにバランスをとって教育効果を上げていくべきか、東洋法制史教育というレベルにおいてもまた模索しなければならない時期に至っているのではなかろうか。

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