『東洋法制史研究会通信』第26号(2014年8月)

《記事》

『天台治略』を翻訳して

喜多 三佳
(四国大学)



1.『天台治略』について

 『天台治略』は、清の康熙58-60年(1719-1721)の間、浙江省天台県の知県を勤めた戴兆佳の手になる行政記録である。内容は、裁判記録・住民に対する告示・儀式に際しての祭文等、多岐にわたっている。社会経済史・法制史の資料としてかねて高い評価を受けてきた著作であるが、これまで邦訳がなく、著作全体を扱った研究もなかった。
 『天台治略』の構成は、次の通りである。

  「序文」……著者の自序を含む、8つの序文。
  巻一・二「詳文」……上司への報告書、申請書。
  巻三「讞語」……裁判記録。
  巻四~七「告示」……県民や下役への告示。
  巻八「啓」……上司や同僚への書簡。
  巻九「雑著」……上司への提言、災害救援の義捐を呼びかける文章など。
  巻十「呈批」……上申書や訴状に対する回答。
  「跋文」……康煕版から光緒版までの5つの跋文。

2.「『天台治略』訳注稿」について

 拙訳、「『天台治略』訳注稿」は、『天台治略』の4種類の版本を比較対照してテキストを確定し、現代日本語に訳して、注を付したものである。康煕60年師恕堂刊本(国立国会図書館所蔵)を底本として用い、嘉慶9年潘春暉等私家版本(東洋文庫所蔵)、道光26年迎瑞堂刊本(東京大学東洋文化研究所所蔵)、及び光緒23年聚星堂刊本(ハーバード大学漢和図書館所蔵)を参照した。また、原文はすべて「一件某々事」とあるのみで番号は付されていないが、検索の便のため、一件ごとに通し番号をつけている。
 「『天台治略』訳注稿」の構成は次の通りである。雑誌掲載の際の字数制限もあり、20回に分けて発表した。近い将来、全般的な見直しをしたうえで、一冊にまとめたいと考えている。

  (一)序文
  (二)詳文(1)……義倉の設立、戦艦建造のための物資供出の廃止、徴税方法の合理化、土地台帳の作成等。
  (三)詳文(2)……清丈の方法と実施経過報告。
  (四)詳文(3)……保甲の編成、学宮の修築、学田の登録抹消、城壁の修復、災害救援米の拠出等。
  (五)詳文(4)……税金の滞納、塩の専売、公共事業のための寄付金、県学の昇格運動、来歴不明者の調査等。
  (六)詳文(5)……盗賊と役所の下役の結託、税の徴収、祠付属の資産の横領、災害救援のための義捐金、僧の姦通事件と寺の財産の処分等。
  (七)詳文(6)……殺人事件の検屍、護送中の流刑囚の家族の取り扱い、弟が亡兄の妻を娶ったと訴えられた事件、贋金造りの処罰、婚約破棄事件、妻の売買、土地の二重売買等。
  (八)詳文(7)……墓地をめぐる紛争、他県へ災害救援の監督に行った際の報告、死因不詳の死体の検死報告等。
  (九)讞語(1)……恐喝事件、不動産をめぐる親族の争い、他人の墳墓を横取りしようとした事件、養子縁組に関する紛争等。
  (十)讞語(2)……開墾地をめぐる寺どうしの争い、水利権の有無を判定した事件、公共の祀田をかってに処分した事件、私塩を販売したといいがかりをつけて強請った事件等。
  (十一)讞語(3)……親族間での墳墓をめぐる争い、不動産の侵奪、結婚をめぐる紛争、養子縁組に関するもめごと等。
  (十二)告示(1)……着任に際しての下役たちへの戒め、科挙に関すること、正月の自警団巡回、不正な升の使用禁止等。
  (十三)告示(2)……私娼の追放、婦人の寺社詣での禁止、僧侶の点呼の廃止、純度の低い銀の鋳造・流通の防止等。
  (十四)告示(3)……編審に関する綱紀粛正及び協力依頼、租税完納の督促、保歇の禁止等。
  (十五)告示(4)……徴税、不動産売買の際の追加支払い、賭博の禁止等。
  (十六)告示(5)……訴訟の受付期間、湯溪県・武義県での災害救援、学生が訴訟に関係することの禁止等。
  (十七)啓……正月や端午の節句などの挨拶の手紙、新任の上司を歓迎する手紙、後任の知県の到着を祝う手紙等。
  (十八)雑著……上司に送った10箇条の改革案、科挙の試験場における注意、城隍神への祭文、災害救援の義捐を呼びかける文章等。
  (十九)呈批……上申書や訴状に対する回答。
  (二○・完)跋文

3.翻訳を終えて思うこと

 序文の訳注を発表したのが1996年、跋文が2010年で、15年かかっている。その間、大勢の方々にお世話になった。とりわけ、東洋法制史研究会の先生方には、たくさんの御教示をいただき、本当にありがたかった。毎回原稿段階でお目通し下さり、懇切なご指導を賜った寺田浩明先生には、感謝してもしきれないほどである。
 翻訳に際して感じたこととしては、次のようなものが挙げられる。

(1)知識面での課題 
 一言で言って、幅広い知識が必要であることが身にしみて分かった。膨大な行政記録の中から、残すべきと判断されたものを選んで編纂した、という性格の史料であるため、ひとつひとつは断片的な記録に過ぎない。税制、兵制なども含めて当時の制度全般が分かっていないと正確な読みができない。訳者の力不足のために、不正確になっている部分がまだまだ多いかと思う。
 また、経典や史書、文学作品に由来するとおぼしき言い回しが山ほどあり、できる限り出典を調べたが、調べきれなかった部分も相当ある。著者本人は科挙に合格するくらいなので、そういったものは全部暗記していて、とくに意識せずに使っているのかもしれないが、後世の外国人にとっては迷惑なこと甚だしい。
 さらに、地域に根ざした話題が多いので、天台県の歴史・地理・文化についての知識も必要である。地理・風俗にかんしては、天台県を実際に訪ねた経験が、とても役に立った。天台宗の発祥の地で、仏寺も多いことから、仏教関係の話もしばしば出てくる。この方面の知識はとくに乏しいため、苦労した。文学、宗教など、他分野の方との協力体制がもっとあれば、正しい訳に近づけるのではと考える。

(2)翻訳技術面での課題
 日本語としてなめらかな訳か、逐語的に正確を期した訳か、というのは、ずっと悩んだ問題である。だいたいにおいて、正確さを重視したが、そのぶん、訳文が読みにくくなってしまった。将来、訂正する機会があるとすれば、課題となる点である。
 また、経典等に出典をもつ言い回しの場合、意識的に引用していると思って訳すのか、それとも慣用句化していて、さらっと流していいのか、迷うこともあった。慣用句化しているかどうかは、当時の文学作品などをたくさん読めば分かるのかも知れないが、これにかんしても訳者は力不足である。
 さらに、読み手(郷紳、平民、僧侶、上司など)に応じた書き方をしていると思われる文章では、身分・階級的な感覚、ないしは距離感がうまくつかめず、訳し分けが難しいとも感じた。

(3)翻訳の意義
 自分にとっては、この翻訳はいいことづくめだった。一字一句を大切に、きちんと読む練習になり、いろいろと調べたことで知識も増し、とても勉強になった。
 読んで下さる方にとってはどうだろうか。『天台治略』は、たいへん使いでのある史料だと思う。清代前期の地方での生活、司法・行政の機能、組織や人のさまざまな関係性、などなど、断片的な文章の集積であっても、さまざまなものがそこから見えてくる。拙い翻訳ではあるが、ざっとお目通しいただいて、『天台治略』の面白さを知るきっかけになれば、訳者にとって、このうえない幸いである。

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