『東洋法制史研究会通信』第29号(2016年8月)

《記事》

『皇明条法事類纂』講読雑感

中村 正人



 筆者は平成27年度より科研費研究グループ(基盤研究(C)「元明時代の法制に関する基礎的研究:『皇明条法事類纂』の分析を中心として」研究代表者:徳永洋介・富山大学教授)の一員として、『皇明条法事類纂』(以下『事類纂』と略す)の講読会に参加する機会を得た。講読会では、上記研究グループの前身に当たる科研費研究グループ(基盤研究(C)「宋元時代の刑事政策とその展開」研究代表者:徳永洋介)における事業の一環として撮影した『事類纂』のデジタル写真画像を基に、劉海年・楊一凡総主編『中国珍稀法律典籍集成』(北京・科学出版社、1994年)乙編第4冊所収のテキスト(以下「活字本」と称する)と対照しながら読み進めているが、今回その過程において感じたことを、貴重な紙面をお借りして報告したいと思う。まだ講読作業の緒についたばかりの段階での感想程度の話であり、学術的価値は乏しいが、軽い読み物記事として気楽にお読みいただければ幸いである。

 『事類纂』に関しては、すでに仁井田陞氏による詳細な解説(同『〔補訂〕中国法制史研究:法と慣習・法と道徳』(東京大学出版会、1980年)第13章「旧鈔本『皇明条法事類纂』私見」)が存在しており、改めてここに述べることもないのであるが、ごく簡単に概要を記せば、同書は東京大学附属図書館に所蔵されている「天下の弧本」であり、明代の天順(1457年~1464年)・成化(1465年~1487年)および弘治年間(1488年~1505年)の条例を類纂した書物である。ただし、「条例」とはいっても、後に登場する明代の「問刑条例」や清代の「条例」等とは体裁が大きく異なっている。むしろ見た目は清代の「成案」等の文書形式に類似しており、事の発端を述べた上奏文等の引用から始まって、その後の文書のやり取りや各官庁での議論・判断の結果等の記述を経た後、皇帝による裁可の言葉で締めくくられる形を常としている。『元典章』等と同様に、どの部署からどの部署へ文書が送られているかが比較的詳細に記載されていることから、明代の文書行政の詳細を研究する上で、かなり高い史料的価値を有しているものと考えられる。

 このように、収録条例の年代が多少限定されている嫌いはあるものの、明代の行政制度を考察する上で格好の素材を提供し、また使い方次第では様々な分野の研究において高い史料的価値を発揮する可能性のある『事類纂』ではあるが、現状では同史料を活用した研究が思いのほか少ないような印象を受ける。その主たる理由は、『事類纂』の内容が非常に難解である点に求められるものと推測されるが、その難解さを生じさせている原因の幾許かは、テキスト自体の見づらさにあるのではないかと筆者は睨んでいる。『事類纂』のテキストとしては、1966年に古典研究会から発刊された影印本が最も一般的と言えようが、この本が極めて見づらいことは、一度でも現物をご覧になったことがある方にはすぐにご理解いただけるであろう。筆者も博士課程の院生時代に、この影印本を使用した『事類纂』の講読会に参加した経験があるが、あのかすれた文字を見ただけで、途端に読解しようという気力が失せたものである。

 もっとも、単に見やすさという点だけで言えば、1994年に冒頭で紹介した活字本が出版されているため、そちらを利用すれば解決できる話ではあるが、後に述べるようにこちらはこちらでまた別の問題を抱えており、結局のところやはり影印本を使用せざるを得ない状況にある。筆者はこの影印本の見づらさは原史料自体の問題なのであろうと永年思い込んでいたが、前述のデジタル写真画像を見たところ、そのあまりの鮮明さに驚きを禁じえなかった。画像をパソコンからモノクロでプリントアウトすると、紙面自体に若干色が付いているため、それがグレイスケールで印刷されてしまい、コントラストの関係で多少文字が見づらくなるが、それでもこれがあの影印本と元は同一のものであるとは信じられないくらいに文字がはっきりと読めるのである。このデジタル画像については、現在研究グループにおいて整理作業を行っているところであり、その作業が終わり次第、東京大学附属図書館のWebページで全文を公開する予定となっている。もちろん文字が読みやすくなったからといって、『事類纂』の持つ難解さが劇的に変化する訳ではないが、読解に対する心理的抵抗感は大幅に低下するであろうことから、近い将来より多くの研究者が『事類纂』に取り組み、明代史研究が一層発展することを筆者は秘かに期待している。

 抄本にはありがちなことであるが、ご他聞にもれず『事類纂』にも字の誤りが多く見られる。それらは、一見して誤りと分かり、なおかつ本来の正しい文字が何であるか容易に推測できるような他愛のないものから、はなはだしきは、『明実録』等と照合した結果、上奏文の日付が誤っているというような比較的重大なものまで様々である。この点に関して、先に紹介した活字本では、誤字・衍字の類の修正が施されている。東京大学所蔵本以外の『事類纂』は今のところ発見されていないため、もちろんこれらの修正は、他史料(『明実録』や『明会典』等)所載の傍証となる記事に基づいて行われたごく一部のものを除けば、あくまでも活字本編集者の推測に基づくものに過ぎず、中には首を傾げたくなるような、あるいは明らかに不適切と感じられる修正を行っている箇所もまま見られるものの、(相当の注意を要するが)とりあえず参照する価値はあると思われる。

 活字本の凡例によると、誤字あるいは衍字と思われる文字には( )を付し、修正あるいは追加した文字は〔 〕で示すとのことであるが、この本の一番の問題点は、こうした記号を付することなく、勝手に原文を変更している箇所が多数見られることにある。例えば、「巻之一 五刑類」の第19例「南京刑部都察院問過囚犯送南京戸部納米」(活字本37頁~38頁、以下に示す頁数・行数も活字本による)を見ると、37頁本文8行目の「軍儲倉」は原文では「寧儲倉」(傍点筆者、以下同じ)とあり、また同11行目の「庶使両無妨誤等因」は原文では「庶使両無防誤等因」である。また38頁9行目に「後棄本等職業」とあるが、原文には「後」の文字は存在しない。研究グループによる講読は、まだ初めの20例~30例を読み終わった程度であるが、この段階においてですら、すでにこうした修正箇所なのか単なる誤植なのかも判然としない文字の異同がそこかしこに見られ、全体としてそうした箇所が一体どれほどの数に上るのか想像もつかないくらいである(もっとも、史料全体にわたっていちいちチェックしたわけではないので、こうした異同があるのは最初の部分だけで、後の方は問題ないという可能性も完全には否定できないが……)。

 もちろん上に例示した内の前二者のように、明らかに原文が誤っていると思われる箇所も多く見られるが、そうであってもその場合には凡例にしたがって、( )〔 〕を用いて文字を修正した箇所であることを示すべきであり、この一事を以てしても、当該活字本は全面的に信頼するには程遠い出来であると言わざるを得ない。敢えて今さら言うまでもないことであるが、活字本・標点本の類は、必ず原典(あるいは影印本)とつき合わせて用いないと危険であることを改めて実感した次第である。

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