『東洋法制史研究会通信』第30号(2017年1月)

《記事》

大学法学部における東洋法制史教育の意義

中村 正人



 今回編集部から私に依頼されたのは、「大学法学部における東洋法制史教育の意義」を語れというものである。齢こそそれなりに重ねたものの、依然として浅学未熟の筆者にこのような重大なテーマを語る資格があるのかそもそも疑問ではあるが、とりあえず個人の見解ということで筆者の考えを以下に書き連ねることにする。

 正直なところ、「東洋法制史教育の意義」などという大それたことを普段はあまり深く考えることもないのであるが、近年の法学部内における基礎法学全般に対する風当たりの強さを考慮すれば、やはり一定の説明責任は果たさなければなるまい。そしてその場合、法制史自体の存在意義という根源的な問いは差し当たり措いておくとして、日本の大学で東洋法制史を教える意義はどこにあるのかという問いに答えることは、日本法制史や西洋法制史の場合ほど簡単ではない。日本法制史であれば、自国の法の歴史的成り立ち(とりわけ明治以降の状況)を知ることの有益性を訴え、また西洋法制史の場合には、我が国の現行法の母法であるヨーロッパ法の成立過程を知ることは、現行法を理解する上で必要であると説けば、多くの場合その教育上の意義に関して納得を得られるであろう。ところが東洋法制史の場合は、奈良・平安の昔はいざ知らず、現行法とほとんどつながりを持たない外国法(中国法)の歴史を教える意義を、多くの人が納得できる形で伝えるのはなかなかに困難である。

 筆者を含め4名の共著で2012年に出版した教科書(石岡・川村・七野・中村『史料からみる中国法史』法律文化社)の中で、実はこの問題について一度触れたことがある。ただし、その文章を書いたのは筆者自身ではなく川村康会員なのであるが、そこに書かれている内容に対しては筆者も同感であるため、筆者なりの表現で言い換えた上で、その内容(趣旨)を以下に再録したい。

①現代中国法を理解するために
 経済分野における中国との交流の拡大とともに、現代中国法に対する関心も深まっている。前近代中国法と現代中国法とは、その政治体制の大幅な転換の故か、一見無関係のように考えられているが、個々の法制度を詳しく見ていくと、そこかしこに前近代中国法の影響が見られ、両者が法文化上のつながりを有していることが分かる。現代中国法を深く理解するためには、やはり前近代中国法に関する知識が必要不可欠である。

②現代日本法(日本人の法意識)を理解するために
 日本法は、過去において何度か中国法の影響を受けて来たが、現在の日本法には中国法の影響はほとんど見られない。しかしながら一般的な日本人の法に対する意識・感覚といったレベルにおいては、前近代中国法の影響と見られるものが数多く存在する。こうした日本人の法意識・法感覚のルーツを探る上で前近代中国法を学ぶことは重要である。

 上述の教科書において言及したのは、主としてこの2点であるが、これらに加えてさらに以下のような意義が東洋法制史教育にはあると筆者は考えている。

③現代日本法を相対化する視点を養うために
 人は知らず知らずの内に自分にとって馴染みのある物を唯一絶対的な存在であると考えてしまう傾向がある。法もその例外ではなく、我々は無意識の内に現行日本法の規定やその中に見られる法思想が絶対的真実であるとの考えに陥る危険性がある。そうしたある種の思考の硬直化を防ぐために、現代日本とは全く異なる世界の法を学び、現行法を相対化して見られる視点を養うことは有用であろう。もっともこのような役割は、独り東洋法制史教育のみが提供できるというものではなく、基礎法学教育全般において認められるところかもしれない。しかしながら、ある意味現代日本法とは対極に位置する前近代中国法を学ぶことこそ、相対的視点の涵養に最も効果があるのではないかと思われる。

 「大学法学部における東洋法制史教育の意義」に関する現時点での筆者の考えは、以上述べたところに尽きるのであるが、最後に蛇足ながら一言付け加えたい。昨今の法制史学界の動向を見ると、歴史学的(と筆者には思われる)アプローチによる法制史研究が主流であるように見受けられる。もちろん研究は、研究者個々人の興味関心に基づいて自由に行われるべきものであるから、どのような手法を選択しようとも、それを周囲がとやかく言うべき筋合いのものではない。しかしながら、教育となると話は別であろう。法制史は、少なくとも教育上は法学の一分野である。その証拠に、日本の大抵の法学部には「法制史」(名称は大学によって若干異なる場合はあるが)という科目が置かれており、さらにその多くには少なくとも一人以上の専任教員が貼り付けられているのに対し、文学部の史学科等において「法制史」あるいはそれに類する名称の科目がカリキュラムに存在し、さらにはそこに専任教員が配置されているなどという話は寡聞にして聞いたことがない。このことからしても法制史が教育上法学の一分野であることは疑問の余地がないであろう。且つまた教える対象も法学を学ぶ学生である以上は、法学的観点からの教育、もっと端的に言えば実定法学とのつながりを意識した教育を(それを前面に押し出すかどうかは別としても)常に心がける必要があるのではないか。気が付けば法学部の中に法制史の居場所がなくなっていたなどということがないよう、(自分自身も含めて)十分に気を付けたい。

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