『東洋法制史研究会通信』 第3号(1989年2月23日)

《記事》

台湾における中国法制史研究の概況

黄 源盛


【編集部注。本稿は、黄源盛氏(台湾大学法学院博士課程・京都大学法学部研修員)により1988年秋に本誌に寄せられた「台湾的法制史研究概況」を翻訳したものである。翻訳は編集委員会が担当した。また紹介論文の書誌的なデータについて編集委員会で調べ得たものについては[]括弧内に注記した。】

  はじめに

 本年(1988年)4月1日に来日して数カ月たつが、日本の法学教育において中国法制史は筆者が想像していた程には重視されていないという印象を持った。しかし幸いにも、8月24日から26日まで、長野県において開催された第七回東洋法制史研究会に出席する機会を与えられた。そこでの日本の中国法制史学界の十数名の教授および先輩諸氏の真摯な研究・討論はまことに敬服に値する。

 会のあと、本『通信』編集委員より、台湾における中国法制史研究の現状についての報告を求められ、ただちにお引受けをした。ただ、筆者は現在日本に滞在しており、手許の参考文献にも限りがあり、僅かに記憶と若干の調査とによって、概括的な記述を行なった。そのため恐らくは、疎漏や妥当でない点もあろうかと思う。専家の御指正を請う。

  中国法制史研究の現状

 広義の中国法制史学研究は、台湾では中国法制史と中国法律思想史からなる。その全体を見るにつき本報告では、中国法制史を主とし、中国法律思想史にも若干ふれることとする。

 さて振り返ってみると、台湾の中国法制史研究は、かなり早くから始まっている。徐道鄰・陳顧遠・陶希聖・戴炎輝・林咏栄・張偉仁・戴東雄等の諸先生は、前後して、中国法制史研究の推進・発展に極めて大きな貢献をされた。しかしここでは過去の業績についてはひとまず措き、現在の研究状況を、以下の四項に分けて紹介する。

 一、中央研究院歴史語言研究所

 中央研究院は大学の外に独立した全国最高の学術研究機構であり、現在の所まだ法律研究所はないが、歴史語言研究所の中に中国法制史研究室を分設し、1968年以来、張偉仁先生が入所し研究員を担当され、1981年以来、同研究所の前任者徐中舒・李光涛先生の始められた未完の事業を受け継いで、引続き「清代内閣大庫・案」の整理と研究の仕事を続けられている。

 清代内閣は、中央政府の要衝であり、群臣百官の題本はここを経て上達され、皇帝の諭旨もここを経て下頒された。雍正七年軍機房が設立され、重要政策の決定は内閣からではなく軍機房から出されるようになったが、規定に依れば「明発」の上諭[機密事件について特別官庁に対して発する上諭ではなく、中外臣民に公示する上諭]についてはなお内閣を経て頒行することになっていた。中葉以降、群臣百官が奏・の形式を用いて直接内廷に上奏することが許されるようになったため、内閣の権能は削減されたが、規定に依れば、部院の職掌に関することはなお別に題本の形で内閣の審閲を経てから皇帝に転呈された。これ等の題本と明発上諭、および内閣がその他の機関と交渉した文件は、最後には皆内閣の「大庫」の中に収蔵され、所謂「内閣大庫档案」となった(詳しくは、張偉仁主編の『明清・案』序文を参照)。しかしこれ等の多数の档案案は、清末民初の時期に流散し始め、幾人もの手を経た後、その一部分が中央研究院語言研究所の購入するところとなり、後にまた戦乱のために数度の移動を経、二十年ほど前にやっと台北・南港の現在地に安住の地を見つけた。

 張先生以前においても、前述の徐・李両先生が、既にこれ等の档案の部分的な整理と出版の作業をなされ、陸続と『明清史料』を編集出版し、明清史研究の貴重な材料となってきていた。張先生は、台湾大学の法律系の出身であり、かって米国のハーバード・ロースクールで、法制史の研究に従事しておれらた。歴史語言研究所に入所された動機は、聞くところによると、清代の「三法司档案」を研究しようと思ったからであるという。しかし研究の過程で、多くの刑事案件以外に、さらに多くの奏摺・奏副・掲帖等がどれも法制に関係することを発見され、また刑事案件の審理報告以外にも、なお少数の旗人の民事案件に関する記録(例えば、冒領旗籍、旗民争産)、司法機関の内部事務に関する文件(例えば、刑部が飯食銀を支役したり支領したりすること、監獄の建造、囚糧の発放)、および法令條例の制定に関する文件(例えば、夷銭の使用に関する規定や営弁緝捕の職責に関する規定)があり、上述の部分はどれも三法司を経て処理されたものではなかったので、以後整理研究出版した専著では「三法司档」の語を用いず、「法制档」の語を用いている。

 これらの档案を整理研究するために、張先生は自らかって清末民初期に法制事業に参与していた人士を訪問し、「清季地方司法・・陳天錫先生訪問記」[『食貨』復刊1巻6・7期、1971]なる一篇の論文を書かれた。また中国法制史研究の大規模な長期計画を立てられ、『中国法制史書目』全三冊[中央研究院歴史語言研究所専刊之六十七、1976]を編集された。また1983年には『清代法制研究 第一輯』全三冊[中央研究院歴史語言研究所専刊之七十六]を出版された。現在、張先生を代表者とし、三十余名の助手(助手は、少数の法律学系出身者を除けば、大部分は歴史系・中文系の出身者である)を補助とする中国法制史研究計画が、良好な基礎を打ち立て、中国伝統法制研究の新しい中心となり、大部の『明清档案』も1985年以降陸続と出版され、現在までに45冊となり、世界各地の学者の利用に供されている。 

 二、各大学および大学院

 (1)国立台湾大学

  1、学部・・・中国法制史講義(張偉仁・戴東雄)
  2、大学院・・(1)中国法制史特殊研究(1987年以前、戴炎輝。現在、戴東雄)
         (2)中国法律思想特殊研究(林文雄)

 張偉仁先生は、中央研究院歴史言語研究所専任研究員の外、数年前より、台湾大学法律系においても教鞭をとられ、学生に対して中国法制史の重視を強調され、昨年も「伝統観念与現行法制」と題する有益な論文を発表された。

 戴東雄先生もまた台湾大学法律系の出身で、1964年西ドイツに赴き、法哲学並びに法制史を学ばれ、帰国後、母校で教鞭をとられている。その法史学に関する専門書としては『従法実証主義之観点論中国法家思想』[著者刊、1979]、「中世紀意太利法学与徳国的継受羅馬法」[『固有法制与現代法学』成文出版社、1978、所収]、『管子的法律思想』[中央文物供応社、1985]などがある。また論文には「従人牲的観点論中国法律思想」、「論中国固有法上家長権与尊長権的関係」、「清末民初之親属及宗族制」などがある。

 戴炎輝先生は、台湾の中国法制史学界の重鎮で、若くして東京帝国大学に学ばれ、中国法制史を専攻された。戦後、台湾大学教授に就任され、その退官後までに発表された研究成果は誠に実り豊かである。日本の学術雑誌に発表された初期の数編の論文以外に、主要著作として『唐律通論』[正中書局、1964]、『唐律各論』[著者刊、1965]、『中国法制史』[三民書局、1966]などがあり、更に多くの論文がある。その人物と著作とは、日本の東洋法制史学界によく知られていると思われるので、これ以上の紹介は控えたい。氏は高齢のため既に研究機関から退き、今後の中国法制史研究を若い世代に期待されている。

 林文雄先生もかって東京大学で法哲学を学ばれ、帰国後大学院の「中国法律思想史」課程の専任となって、今日に至っている。その講義題目は、先秦諸子から清末民初(本年は沈家本を取り上げる)に至り、毎年あるいは学期ごとに、代表的な法思想家一人について講義する。このように、伝統法時代全期を通じて、系統的に講義し、重要な法思想家の原典を選読し、さらに現代法学の観点から、その歴史的および当時における意義を理解し明らかにする点に、きわめて特色がある。林先生の主要著作には、『法実証主義』[1976 ?]および『老荘法律思想』[中央文物供応社、1985]等がある。

 (2)国立政治大学

  1、学部・・・中国法制史講義(巨煥武)
  2、大学院・・中国法制史特殊講義(巨煥武)

 巨煥武先生の研究主題は、明らかに明律関係であり、既発表の専論に「明代判決書的格式其記載方法」[『大陸雑誌』68-3、1984]、「明代的訴訟費用・・囚紙」[『大陸雑誌』62-4、1981]、「明代律例有関官吏出入人罪規定」、「明律中之事後受財罪之研究」、「明律上的嘱託公事罪」など多くのものがある。

 (3)国立中興大学

  1、学部・・・中国法制史講義(陳俊郎)
  2、大学院・・(1)中国法制史特殊講義(林咏栄先生。1985年退職後、私立東呉大学に転任。現在欠員)
         (2)中国法律思想史特殊研究(同上。現在欠員)

 林咏栄先生もまた中国法制史学界の先達であって、その著作は、理論的性格が強く、かつ創見に富む。主要専著に『中国法制史』[著者刊、1960]、『中国固有法与道徳』[著者刊、1975]、『唐清律的比較及其発展』[国立編訳館、1982]、『中国固有法律与西洋現代法律之比較』[中央文物供応社、1982]がある。主要論文も多いが、主なものを列挙すれば「一元的礼法観」[中央法学協会]、「従我国固有刑律与日本立法趨勢論罪刑法定主義」[『刑事法雑誌』8巻5期]、「我国固有法上礼与刑合一的作用及其新評価」(上・下)[『法学叢刊』13巻50・51期]、「唐明律的比較研究」[『法学叢刊』28期]、「沈家本先生行誼・法律思想及其影響」、「清末民初中国法制現代化之研究(公司法・海商法)」等がある。

 (4)私立東呉大学

  学部・・中国法制史講義(昼間部、張溯崇・林咏栄。夜間部、李甲孚)

 李甲孚先生は、法律実務家の出身であるが、家学として中国法制史の研究を積まれ、当該課目を多年兼任されている。主な著書に、『中国法制史及其引論』、『中国監獄法制史』[台湾商務印書館、1984]、『古代法官録』[台湾商務印書館、1984]等があり、主要論文は「近年出土之『秦律雑抄』」、「韓非子五蠹篇新論」、「韓非的以法治国論」等多数に及ぶ。

 (5)私立東海大学

  学部・・中国法制史講義(1986年以前は林茂松。1987年、黄源盛。現在、陳文政)

 林茂松先生は、かって京都大学および東京大学において中国法制史を学ばれ、帰国後、幾つかの学校において教壇に立たれたが、現在は教職を辞し、弁護士として活動されている。その主要論文に「中国近代法制史上有関刑律之蛻変問題研究」、「我国近代法制史上有関刑法及司法制度蛻変問題研究」等がある。

 筆者(黄源盛)は、現在台湾では少数の、中国法制史研究を目指す後学の一人であり、相前後して、林咏栄・戴炎輝・戴東雄・張偉仁・林文雄の諸先生に学び、京都大学留学中は、中沢巷一先生を指導教官として、目下「沈家本の法律思想と清朝末期における法制変遷の研究」に従事している。私の既発表論著に『漢代春秋折獄之研究』(1982年、修士論文、約15万字)[著者刊、1982]、論文に「従法思想史的観点看荀子的礼法思想方法」[『法学叢刊』125期]、「従現代法学観点論墨子法律思想」[『復興崗学報』37期]、「従韓非的歴史観論其法律思想」等がある。

 (6)私立中国文化大学

  1、学部・・・中国法制史講義(張溯崇)
  2、大学院・・(1)唐律研究(戴炎輝。現在欠員)
         (2)中国法思想史特殊研究(張溯崇)

 張溯崇先生は、長年、中国法制史の研究に打ち込まれ、その主要著作に『清代刑法研究』[華岡出版部、1974]、『唐代官人優遇地位之研究』、その他多くの短編論文がある。

 三、今日までの博士・修士論文

 (1)中国法制史部門

 台湾大学修士論文計七篇、そのうち唐律関係二篇、清律三篇、親等制一篇、復仇一篇。政治大学修士論文計三篇、そのうち清律贖刑一篇、唐明律官人優遇制度一篇、明律の誣告罪一篇。中興大学修士論文計二篇、そのうち漢代春秋折獄一篇、清代州県衙門裁判制度一篇。文化大学修士論文計九篇、そのうち唐律関係八篇、固有法上の刑官制度一篇、さらに唐律関係の博士論文一篇がある。

 (2)中国法思想史部門

 台湾大学修士論文計九篇、そのうち四篇は韓非の法思想を取り扱い、孔子・荀子・董仲舒および儒家の法思想を扱う論文各一篇があり、残りの一篇は中国の法治思想と関連がある。中興大学の一篇は、法家の法思想を探求したもの。文化大学の修士論文は計六篇で、儒家・法家・墨子の法思想を論述している。

 四、行政院国家科学委員会研究奨励論文

 本節の論文は、国家科学委員会が専ら各大学の助手以上の研究奨励のために設けたもので、その内容は、大変参考になる。昨年末までで計十八篇に及ぶ。そのうち、唐清律の司法制度を比較したもの一篇、漢代春秋折獄一篇、明律関係の規定を検討するもの五篇、清律関係の研究九篇、伝統法上の刑法及び司法制度の変質一篇、中国固有法と現代ヨーロッパ法の比較一篇。

 そして中国法律思想史に関わるものは計四篇、すなわち荀子の礼法思想が二篇、老子の法思想が一篇、沈家本の法思想が一篇である。

  結語

 上述したところから明らかな如く、台湾の中国法制史研究者は少なくなく、その研究成果にも大いに見るべきものがある。とくに、歴代の律令については多くの研究があり、とりわけ唐律と清律について考察するものがほとんどである。

 以下、二点につき特に述べてみたい。

 第一に、これまで批評されてきたように、中国法制史の研究論文は多いものの、そのかなりの部分は、歴代の律令の内容を主に論述したもので、それらと現代法との比較を試みたものは少なく、伝統法文化が、どの様に軌道修正をして、今日の法秩序に落ちついたかを考察するものは、ほとんど無いと言ってよい。このために、今後いかに適切な法制史研究方法を確立するかが、重要課題となる。伝統的法制であるからと言って骨董として蔵の中にしまい込むべきではない。研究論文もまた、史料の収集・叙述の範囲にとどまるべきではない。中国法制史の研究に従事する者は、伝統と近代化に関心を持ち、現段階において、いかにこれらを結びつけ交流させるかという任務を負っていると考えられる。そしてその研究の価値は、伝統的制度や思想・知恵に、一歩進めた検討を加え、啓発を行ない得ると言うことにあろう。

 第二に、近年台湾の青年研究者のうち、中国法制史を学ぶ者は激減している。さらに先述したように、今日までの法制史の修士終了者は少なくないが、就職難等の事情から、大多数の者は、その研究を継続することが出来ないことを残念に思う。現在、法制史の研究と教育は、端境期の状態で、世代の断絶が見られる。今後、実際どの様にして青年研究者に働きかけて中国法制史の研究に従事させるかが、これまた台湾の法学界の注目すべき問題の一つである。

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