清朝時代の地方官庁の档案としては台湾北部の『淡新档案』が日本ではよく知られているが、最近出版された鄭秦『清代司法審判制度研究』(博士論叢。湖南教育出版社、1988)には、北京近郊の宝■【「抵」字を土ヘンにした字。以下「テイ」と記す】県の档案の中から採った訴状の写真が掲載されている(その版式は『淡新档案』に非常によく似ている)。
前述の通り、学会の大会発言の第一番目として張晋藩氏により清代法制史の史料状況の整理がなされた。そこで、その機会にこの宝テイ県档案の詳細について質問したところ、張氏が連絡してくれたのか、翌日午後にこの本の著者・鄭秦氏がわざわざ宿舎に尋ねてくれ、24日早朝、この档案を収蔵する中国第一歴史档案館に同道して自ら紹介解説をしてくれる事になった。また同日は、北京到着以来何かと面倒を見てくれた華夏研究院の副研究員・徐立志氏も同道し档案館副館長に掛け合ってくれ、望外にも、乾隆刑科題本が収蔵されている档案館の書庫内部も見ることが出来、24日は一日これ等の档案を見て過ごした。この機会に、この二つの見聞を整理し記録しておく。
■宝テイ県档案について
宝テイ県档案は、档案館の分類では『順天府全宗』なる档案の一部としてある。そしてこの『順天府全宗』については既に大まかな整理がなされており、『順天府全宗案巻目録』なる手書きの冊子が出来上がっている。鄭秦氏によれば、この整理は随分前に行なわれ、整理をした方は既に逝去しておられるという。冊子はB5版横書きで、各ページが十段ほどに罫線で分けられ、各巻毎に一段分の欄を割き、「大分類」「その巻の内容摘要」「その巻の収録文書が作成された朝代名」「その巻の収録件数」が記載されている。大分類をまとめると、以下のようになっている。
1、職官官制 第 1巻〜 23巻 全 23巻 2、民政警務 第 24巻〜 51巻 全 28巻 3、憲政 第 52巻〜 53巻 全 2巻 4、法律詞訟 第 54巻〜245巻 全192巻 5、鎮圧革命運動 第246巻〜251巻 全 6巻 6、軍務 第252巻〜272巻 全 21巻 7、財務金融 第273巻〜301巻 全 29巻 8、工業交通 第302巻〜304巻 全 3巻 9、農林商務 第305巻〜314巻 全 10巻 10、外事往来 第315巻〜316巻 全 2巻 11、伝教教案 第317巻 全 1巻 12、礼儀 第318巻〜320巻 全 3巻 13、文教衛生 第321巻〜323巻 全 3巻 14、其他 第324巻〜333巻 全 10巻 全 13187件 ここで言う一巻は、文書を適宜分類収蔵するための便宜的なまとまりと見え、外形的には薄手の白ボール紙を折って作った天地40cm程、横20cmまたは30cm程、厚さ3cmまたは10cm程の箱状の紙ばさみの中に文書をパンパンに詰め込んた形をしている(適当な十巻ほどが外賓閲覧室に既に出されていた)。
訴訟文書は、上記分類の内、4の「法律詞訟」(第 54巻〜245巻)全192巻に含められている。上記目録から訴訟に関する各巻の内容摘要をまとめて写しておく。
巻54 刑部等関于頒発詞訟案例、司法成案、刑律及司法統計等問題的文件 巻55 宝テイ県等関于・理秩序審応解、免解、留養定擬及一般民刑案件的審理外決等問題的文件 巻56〜62巻 順天府宝テイ県関于監獄在監案犯的管理、獄卒的更凋、監獄的准修及越獄等問題的文件(之一)〜(之七) 巻63〜64巻 順天府宝テイ県等関于呈報在監人犯各数事由発放獄囚半石銭文数目等底冊(之一)〜(之二) 巻65〜77巻 順天府宝テイ県等関于・理民刑案犯的流徒逮解等問題来往文件(之一)〜(之十三) 巻78〜86巻 順天府宝テイ県関于・理潜逃”罪犯”、徒犯的緝捕問題的文件(之一)〜(之九) 巻87〜94巻 順天府宝テイ県等関于・理所属郷保、首事、書手人等的選挙撤換等問題的文件(之一)〜(之八) 巻95〜108巻 順天府宝テイ県関于土地、地租糾紛方面的案巻(之一)〜(之十四) 巻109〜112巻 順天府宝テイ県関于房屋、房基地糾紛方面的案巻(之一)〜(之四) 巻113〜120巻 順天府宝テイ県等関于・理賭博、討・賭債等問題的文件(之一)〜(之八) 巻121〜152巻 順天府宝テイ県関于承理偸窃方面的案巻(之一)〜(之三二) 巻153〜160巻 順天府宝テイ県等関于・理官吏郷保的敲話勒索及結・搶等問題的文件(之一)〜(之八) 巻161〜173巻 宝テイ県等関于審理民人呈訴婚姻、姦情方面的案件(之一)〜(之十三) 巻174〜179巻 宝テイ県関于審理民人呈訴拐騙婦女販売人口方面的問題(之一)〜(之六) 巻180〜184巻 順天府宝テイ県関于・理過継承嗣及其他家庭糾紛等問題的文件(之一)〜(之五) 巻185〜195巻 宝テイ県等関于審理民人呈訴債務糾紛方面的案件(之一)〜(之十一) 巻196 順天府宝テイ県関于・理強迫入教、教民欺圧貧民百姓等問題的案件 巻197〜245巻 順天府宝テイ県関于承理殴闘及其他糾紛方面的案件(之一)〜(之四十九) 目録の記載を合計すると、「法律詞訟」全192巻中に含まれる案件総数は6107件であるから、各巻には平均30件ほどの案件が含まれることになる。また時期的には、鄭秦氏に依れば、乾隆から光緒期までのものがあるが、嘉慶・道光・咸豊年間のものが最も多いそうである。
保存状況を見るために、試しに巻95「順天府宝テイ県関于土地、地租糾紛方面的案巻(之一)」を取って見てみたが、巻の内部は殆ど未整理に等しい。@文書は裏打ちもされず、(恐らく元あったままに)束ねられ丸められている。破損していない文書は殆ど無く、しかも破れかけた薄い紙が乱雑に重なっているため一枚一枚を剥して読むことも困難であり、また大きな紙は上半分がちぎれて他の部分に混ざり込んでいて対応関係をつけるのも難しい。Aそれ故、何処までが一案件なのか一目で判別することはできず、また案件毎の整理番号なども振られてはいない(これと対比してみる時、『淡新档案』の現在の整理状況のすばらしさ、それに費やされた戴炎輝氏の努力と功績が如何に大きかったかが痛感される。鄭氏に『淡新档案』の現況を告げると、鄭氏は「請転向戴先生問好。他做了一件很有意義的工作!」と言っておられた)。
また鄭秦氏によれば、これまでに本档案を利用した研究は非常に僅かしかない。まず第一は鄭秦氏自身の上記研究であり、氏はそれに当りこの档案全333巻全てに目を通したそうである(それを通じた文書分類の現況についての知見として、当初分類の不備、つまり巻の標題とそこに分類配分された档案の内容とが必ずしも正確には対応していないこと、またこの分類項目自体が内容に照らして「不科学」であることを批判されていた)。第二は、鄭氏の同学で現在イギリスにいる曹培女史で、女史には「清代州県民事訴訟」(『中国法学』1984?年第?期)なる論文がある。またこの外に、中国系アメリカ人の手により、本档案を利用した保甲・郷保の研究があるそうである。
鄭秦氏は、この档案全体の中から一部分を選んで史料集の形で出版する意図があるが、予算的な問題が残っていると言われていた。誰もが自由に使いこなせる様にするには、まだまだ大変な作業が残っている档案である。
■档案館乾隆題本書庫の模様と刑科題本の細目について
清代乾隆期の刑科題本は、中国でそれを主要な史料とした(主に租佃関係を対象とする)論文が幾つか書かれており、また史料本体の代表的な部分も既に『清代地租剥削形態』(上下二巻)なる史料集の形で選録、刊行されており、日本の研究者にとっても決して馴染みの薄いものではない。
しかし、そうした中、ものの本を読んでも、また中国から来日する学者に質問しても、奇妙に分からない点が幾つか残されていた。即ち、上記史料集は乾隆刑科題本の内の「土地債務類」をまとめたものだと言われるが、ではそれ以外に档案館においてはどんな「類」が立てられているのか、またそれら分類の中で、当の「土地債務類」はどれほどの比重を占めるのか、そしてそれら刑科題本の全体の整理の進捗状況はどうなっているのか。勿論その疑問を直接に解決する方法はある。乾隆題本の全部を見てみればよい。
そこで、法学研究所に書いて頂いた紹介状の批准を得るため第一歴史档案館副館長に面談する機会があった折りに、刑科題本が納められている書庫の中に入れて貰えないか、頼んでみた。当然の如く、最初は断わられてしまったのだが、(徐立志氏の御尽力があったのであろう)最後には見せて貰えることになり、中に入って一時間ほど色々メモをしてきた。その見聞を簡単に報告する。
案内してくれた司書の方の説明によれば、清代の档案は三つの部屋に分けて収蔵されており、私の見たのはその内の第二庫(551庫)である。また徐氏の話によれば、乾隆の題本はすべてここに納められているという。
部屋は档案館の五階にあり、入口は鉄の扉で閉ざされ窓は全く無い。部屋の中央には通路があり、そこから両側の壁に向かって、五段の木製の両面書架が30連程づつ並んでいる。両面書架は、一面づつ第1排、第2排と名付けられ、入口から時計回りに62排まで番号が振ってある。
乾隆題本の档案は、横13cm程、奥行き27cm程、高さ13cm程の、紺色の布でモールドされた長方形の函(帙と言うべきか)に数件から二三十件ほどづつまとめて納められている。そして各函の正面(13cm×13cmの側面)には9cm×6cmの紙ラベルが張ってあり、そのラベルは印刷された四段の枠組みからなっている。第一段には予め「刑科」「戸科」といった分野名が印刷され、続いてその各分野題本での通し番号がナンバリングで打ってある。第二段には「土地、債務」といった内容分類がこれも多くは印刷の形で書き込まれている。そして第三段には「乾隆朝 年 月至 月」(多くは空欄のままである)、第四段にはその函に納められた文書件数を書く欄がある。
書庫内にはこの函が、ラベルのはられた短辺を正面に向けて、書架各段に二段重ねにしてぎっしりと並べられている。また各書架の通路側には、その書架(排)に収蔵されている函の分野と通し番号の初番・終番を書いた紙が張ってあり、そこでその全てをメモしてきた。それを分野を軸にしてまとめ直すと以下のようになる。
「戸科題本」 1〜5576 第1排〜第25排 「兵科題本」 1〜318 第26排 「工科題本」 1〜2006 第26排〜第30排 「刑科題本」 1〜10171 第30排〜第48排 「順治朝掲帖」 1〜40 第48排 「前三朝題本」 1〜899 第49排 「通本」 1〜783 第50排〜第52排 「東北移交題本」 1〜1488 第53排〜第58排 「吏科掲帖」 第58排 「戸、兵、刑科掲帖」 第59排 「工科掲帖」 第60排 「光緒朝掲帖」 第60排 以上の四者は、箱に入っておらず束ねて紐で縛ってある(未整理?) 「移会」 1〜569 第60排〜第62排 「移副」 1〜195 第62排 そこで次に、問題の刑科題本の棚(第30排〜48排)に入り、各函のラベルの第二段・分類名の欄を読んで行くと、その内容は以下の通りである。
「土地、債務」 0001〜9214(9215〜9228は欠番か、見落としか?) 「違禁」 9229〜9238 「貪汚」 9239〜9246 「違禁」 9247〜9292 「貪汚」 9293〜9760 「違禁」 9761〜10171 なお「土地、債務」の間の記号は、句点ではなく並列を示す「等号」である。 即ち、書庫の配列から見る限りでの取り敢えずの結論としては、(これが全てであるとすると)乾隆刑科題本は現在すべて整理済みであり、それは「土地、債務」「違禁」「貪汚」の三つに分けて収蔵されており、しかもその全体の90%が何と「土地、債務」であり、残り900函ほどを「違禁」「貪汚」が二分する、という分類になっている、ということになる。
ただそうは結論したものの、小さな疑問もなお一つ残っている。というのは上記「土地、債務」の函を見て行くと、その0001〜0120函については、ラベルの第二段に印字された「土地、債務」という記載の外に手書きの「命案類」なる記入がある。これは何なのか、という疑問がそれである。そしてこの「命案類」なる用語法はここ以外にも見えるものである。
即ち、ここまでは档案の納められている函のラベルのみを見てきたが、その中には当然個々の档案が入っている。個々の档案は、天地24cm、幅48cm程の紙が次々に何枚も貼り継がれた横長の紙が12cm幅で順次丁寧に折り畳まれた形で存在する。そして個々の档案は、档案館が分類整理用に作った薄い白い紙で包まれており、その紙の中央部分には分類用の記入項目型式が印刷されている。上段の第一行目には「 類 項」、二行目に「第 号巻 第 号」と定型文字があり、以下四角い枠組みの中に「文件作者」「時間」「摘由」「附 件、 内容:」「備注」それぞれを書き込む欄が設けられ、最後に枠の下に「共 件」と包まれた文書の件数を記す欄がある。そして私が閲覧室でゆっくりと手に取って見たのは「土地、債務」の0186函の諸档案であるが、その包紙の上部にはどれにも最上段に「命案 類 土地債務 項」と書いてあった。つまりここから見る限り、「命案類」こそが「類」レベルの分類項目であり、「土地、債務」は、その下位の「項」レベルの分類項目の一つである(或は「あった」)と言うことになる。
この「命案類」という、最初の100函程のラベル上にはあり、後にラベルから消える分類題名の位置づけは何なのか、それと「土地、債務」、「違禁」、「貪汚」という(結局は全体を覆うことになる)最終分類との関係はどうなるのだろうか。推理は様々に出来るが、より多くの档案を見て行けば自ずと解決する問題であろう。ここでは一応疑問として記し置くに止めることとする。
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