『東洋法制史研究会通信』 第5号(1991年5月1日)

《書評》

中村正人氏「清代刑法における正当防衛」(法学論叢127巻1号,3号)

森田 成満



 本稿は清律において正当防衛が認められていたか否かを明らかにすることを目的にしている。

 第一章で清代刑法における違法と責任の概念を検討し、第二章においていくつかの情況における正当防衛の特徴を解明している。

 清代刑法における違法とは、法の精神に対する違反(法益侵害、重大な結果の発生)であり、律例の文言(構成要件)に該当しない犯罪も存在した。責任とは道義的な非難可能性である。ただ、それは必ずしも犯罪成立に不可欠の要素ではない。そして、量刑は違法と責任の大きさの和によって決められたという。

 このような違法や責任の概念に留意しながら、ついで正当防衛が違法性と責任の減少と言う特徴を持つことを個々の正当防衛に関係する律文を検討する事を通して明らかにする。

 自己のためにする正当防衛的な情況一般に適用される可能性のある規定として、罪人拒捕条がある。そこでは他に適当な防衛方法を取り得なかったと言う意味で責任の減少が考慮されていると言う。

 他人のためにする正当防衛としては、父祖を防衛するときに関する律文がある。ここでも責任の減少と共に、違法性の減少も考慮されている。それは拒姦における正当防衛や防盗における正当防衛においても異ならないとされる。

 現代法の概念をそのまま歴史の中に持ち込むことのないように、注意深く史料を読んで、正当防衛は単に違法性の阻却事由ではないことを明らかにされている。平明で手堅い議論の進め方は説得性が高い。以下、この「通信」の読者が内輪の仲間に限られていることを考慮して、氏とは異なる考えの部分に絞って、時には礼を失して数点記してみたい。

 まず、説明の仕方の問題として、氏は律例の文言を構成要件として捉えて律例の文言に該当しない犯罪が存在するとされるけれども、成文となっているか否かとは無関係に犯罪行為の枠を構成要件として捉えたほうが構成要件のない犯罪と言うようなものがなくなって、すっきりするように思われる。

 第二に、違法性の実質を行為がもたらした結果の重大性に求められているけれども、常にこのように言えるであろうか。勿論、相対的に見れば結果を重視していることは間違いない。また、現代の刑法と比べても清代刑法は結果を重視していると言って良いであろう。しかし、例えば律は禁制品に対する窃盗を処罰する。結果と言う言葉で何を理解するかとも関係するけれども、そこには行為無価値的な考えが見受けられる。

 氏は他に適当な防衛方法を取り得なかったということは、責任に属する事柄であるとされ、正当防衛が責任を減少することもある証左の一つとされる。しかし、この点は違法性阻却事由として構成する現代法の正当防衛の成立要件である防衛行為の必要性(補充性)に近い意味を持つこともあるのではあるまいか。防衛者にとってやむを得ない反撃であったと言う意味のほかに、防衛行為の侵害性と守るべき利益がまずまず釣り合っており、他の軽微な防衛方法を取ることが容易ではなかったことを意味することもあったのであって、責任だけではなくて違法性に関係することもあったと思われる。

 第四に氏は祖父母父母が殺されて即時に相手を殺害した者を免責する律文をめぐって、それは復讐であって正当防衛ではないとされる。しかし、祖父母父母の死亡時点の先後を基準としてそれ程厳密に復讐と正当防衛を分けて考えていたであろうか。侵害行為と時間的かつ場所的に接着して反撃行為をなしたときの処理として、いわば緊急行為として考えていたのではあるまいか。この点は論文を纏める時の方法と関連する。現代法の概念を過去に投影するのは良くない。さらに言えば、見る側の関心によって法概念を切り取るよりも、できればその時代の法概念をそのままありていに捉えるのが望ましい。強いて正当防衛として纏めるよりも緊急行為をめぐる法理の解明を目指して史料を見ていったほうが良かったのではあるまいか。

 最後に、すべてに史料的根拠を持っている訳ではなく、それ故、仮説的意見に過ぎない処もあるけれども、史料の理解について二、三記しておきたい。曾泳譚が借金を返済しない態■【毎+[硫−石]】芝を梱縛しておいたところ、態■【毎+[硫−石]】芝が逃亡して自ら躓いて死亡した一案について、因果関係が存在しない故、曾泳譚の罪責を威力制縛人致死条の通常の解釈では根拠づけられないとされる。真にその通りであって、それだからこそ比付した上で減刑しているのである。

 また、氏は他人を圧迫して人を殴打し死傷させたとき、被主使者を従犯として処罰する律文を期待可能性が存在しない例として挙げられる。この律はそのようなときも包摂してはいるであろうけれども、そこまで強く圧迫していないときも予想していると思われる。大きな瑕疵はあるけれども多少なりともその意思に基づくことも少なくなかったであろう。従犯に自由な意思が存在するときは同謀共殴条が適用され、威力制縛人条後段は全くの道具として行動したに過ぎないときに適用するとするのは形式的に過ぎると思われる。

 さらに、瘋病に侵されたために、夜中に他人の家に侵入する行為は、故なく侵入したことにはならないので、それに対する殺害行為は律に於いて免責されないとされる。しかし、瘋病による侵入は常に故あるものとなるのであろうか。瘋病に侵されても責任能力は減少するに過ぎないときもあったであろう。さらに、そもそも、この律文の趣旨から考えて、侵入者に責任能力がないときも加害者を免責し得たのではあるまいか。違法性は客観的に捉えられる傾向が強かったように思われる。即時の反撃ではないとして免責はしないで減刑したに過ぎない王楊氏の事案は、史料の文言通りに理解しておくしかない。

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