『東洋法制史研究会通信』 第5号(1991年5月1日)

《書評》

M.J.MEIJ ER,SELF−DEFENSE

中村 正人



 本論文は、Anthony F.P.Hulsewe氏の傘寿記念論文集“THOUGHT AND LAW IN QIN AND HAN CHINA”に収められている諸論文の内の一篇である。以下に、筆者の記述するところにしたがって、順を追って簡単に内容を頼介したい。

 まず筆者は、ガイウス・グロチウス・ジュス・ポロック及びメイトランドの学説等を引用しつつ、ヨーロッパにおける正当防衛規定の変遷を概観した後、本論文の中心テーマである、窃盗犯に対する正当防衛に言及している。それによれば、ガイウスは、窃盗が夜間に行われた場合、窃盗の被害者は犯人を殺害してもさしつかえないという意見であったが、時代が下り、国家の法が発達するにつれて、私的な制裁を抑制するためにさまざまな要件が工夫されていったとし、同様な発展の過程が中国において見出だされると序論部分を締め括り、いよいよ本題である中国における正当防衛に話を進める。

 本論文の主たる対象は、清律の夜無故入人家条及び同条の附律条例であるが、歴史的な流れにも配慮して、清律に至るまでの正当防衛規定の変遷を取り上げ、『周礼』秋官朝士・漢九章律賊律・唐津賊盗律22条・宋刑統・元史刑法志並びに元典章・明律夜無故入人家条等の規定ないしは記述を順次取り上げ、それぞれについて簡単な解説を加えている。これらの解説は、概ね日本や中国(台湾)の研究者によって既に指摘されていることであったリ、唐津の疏議をほぼそのままの形で引き写しただけであったリで、特に目新しいものではないが、ただ、唐津について、賊盗律22条と捕亡律2条との関係について言及している点と、正当防衛に関わる事例を元典章から一例引用している点は、注目に値する。

 清代刑法における正当防衛(特に財物防衛)の問題について、筆者は実に本文全体の約7割にあたる12頁もの紙幅を費やして論述しているが(その意味で本論文は、『秦漢中国における思想と法』と題したこの記念論文集には、やや不似合いかもしれないが……)、その内の多くの部分を、関連条文や判例の紹介および解説が占めている。しかし、紙幅の都合から、この部分は大幅に割愛し、特に重要と思われる二つの論点についてのみ、筆者の所説を要約することとしたい。

 第一の論点は、清津の夜無故入人家条と同条例1との相違についてである。夜無故入人家条においては、行為の主体は「主家(the master of the house)」であり、しかも侵害が現実化する前に、防衛行為を行うことを認めている。しかるに条例1においては、行為の主体は「事主(the owner of the goods)」であり、現実に侵害が発生し、それに対応した行動において、窃盗犯を殺傷した場合について規定しているというように、両者の間では、その対象とする状況が、性格上全く異なっている点に注意を促している。それに加えて、両者の刑罰に大きな差(律では無罪、条例では杖一百徒三年)が存する点について、条例においては侵害行為と反撃行為との権衡性の要素を導入しており、そのことは窃盗一般に対する寛大な立法を反映したものだと述べている。

 第二の論点(これが筆者の最も強調したかった点であると思われる)は、法実務者間に存在する、窃盗犯の殺傷に対する二つの異なった態度についてである。事主が窃盗犯を殺害した場合、通常の闘殺罪の刑罰である絞監侯ではなく、杖一百徒三年に減軽されはするが、決して律の規定のように無罪とされない理由につき、事主は確かに恐慌状態に陥って窃盗犯を殺害したのではあるが、窃盗犯といえども人命は至重であるが故に杖一百徒三年に処するのだとする趣旨の発言が、1801(嘉慶6)年の判決(江西司 熊璧義一案)に見られるけれども、この「崇高な」理念とは異なった色調を持った見解が、既に1784(乾隆49)年の判決(河南司 張体道一案)において認められることを筆者は指摘している。すなわちその見解は、主として窃盗犯の殺害と凡人の殺害との違いを強調し、このような事主に対する寛大さは、彼の行為が窃盗を抑止するものであるからだとしている。以上のことから筆者は、殺賊に対する二つの異なった態度、すなわち「窃盗犯も人間である以上、軽々しく殺害するべきではない」とする、窃盗犯に対して比較的寛容な態度と、良民(すなわち窃盗の被害者)の側に立った、窃盗犯に対して厳しい態度とが、巡撫や刑部の間に見られると述べ、後者の代表的な意見として、刑部侍郎(1761〜1772)銭維城の所説を引用している。その長々と説くところ(実に筆者は6貢にも亙って翻訳・引用している)を一言で言えば、国家の裁判手続きに伴う種々の弊害(時間と労力の浪費・胥吏たちによる賄賂の取り立て・裁判担当者の無能力さ)によって、窃盗の被害者たる良民たちは、国家による適切な救済処置を獲得し難いので、彼らによる窃盗犯の殺害を大幅に認めるべきだ、ということを銭維城は主張しているのである。

 しかし筆者は結論部分において、官側が殺賊に対して一貫して(無罪ではなく)杖一百徒三年という刑罰を科していたのは、窃盗犯に対するフリーハンドの生殺与奪権を事主に与えたとしても、国家による救済の貧弱さをカヴァーすることはできず、かえって良民をして(殺人という)新たな犯罪を犯さしめるだけの結果に終わるであろうとの考慮が働いた結果によるものと推測している。したがって、殺賊に対する二つの態度の対立は、「二つの悪(盗賊によってもたらされるものと、新たな犯罪を犯すことによってもたらされるもの)」から良民を「守る(shepherd)」ための方法に関する立場の相違に起因するに過ぎず、それを「国家」の権利と個人の権利との間の規範の衝突の問題として捉えるべきではない、何となれば旧中国の人民は、刑事事件においていかなる権利も有してはおらず、せいぜい「免責(excuse)」されることを期待できたに過ぎないのであるからと述べて、その行論を結んでいる。

 本論文は欧文で書かれた、旧中国の正当防衛に関するほとんど唯一の専論であると思われ、その意味で、本論文の存在自体が既に一定の評価に値するであろう。清代の刑法を研究している評者にとっては特に、本論文の出現は正に望外の喜びとせざるを得ない。しかし、本論文にも問題がないわけではない。以下に、問題と思われる点を三点だけ指摘しておきたい。

 第一に、当時の法実務者間に、殺賊に対する二つの異なった態度の対立が存在していたが、それを「国家」の権利と個人の権利との間の規範の衝突の問題として捉えるべきではないとする筆者の主張には、評者も賛成である。しかしながら、その対立の具体的な例として、熊璧義一案と張体道一案とにおける刑部の所説を対比させて引用している点については、いささか疑問が存在する。熊璧義一案においては、殺賊行為を無罪にではなく杖一百徒三年に加重する理由に重きをおいて論述しているのであり、張体道一案においては、反対に絞監侯ではなく徒三年に減軽する理由に力点をおいて述べているのである。これは、殺賊に対しては死刑にもしないが無罪ともしないということを、加重・減軽それぞれの側から説明しているだけのことで、著者のいう「異なった二つの態度」の対立を反映した具体例であるとは、必ずしも言えないのではなかろうか。

 第二の点は、各トピック間が有機的なつながりに乏しいことである。本論文は清代刑法の財物防衛に関連する事項をあれこれとまとめて詰め込み過ぎたため、論述が多岐にわたり、ややもすれば焦点がぼやけてしまうきらいがあるように見受けられる。おそらくは中国刑法に対して馴染みの薄い読者の存在を想定して、清代法制に関する総花式の記述を意識的に行った結果なのであろうが、それにしても、例えば地方官の虎の巻としての『名法指掌』の果たした役割に関する記述(本文236頁)等は、殺賊に対する二つの態度の対立という中心的論点とは、ほとんど直接的な関係はなく、徒に全体の流れを阻害するのみであり、この点多いに再考の余地があるものと思われる。

 最後に、本論文における誤植及び不適切な訳語の多さについて一言触れて、本書評を締め括りたい。西洋人にとっての(別に西洋人に限らないが)漢文読解の難しさ、及び漢字印刷態勢の不備は十二分に了解しつつも、本論文においてはその受忍限度をいささか越えているようにも思われる。たかが誤植に目くじらを立てる必要もないという向きもあるかもしれないが、あまりに誤植が多いと、その論文の信頼性自体が害なわれるのみならず、中国法制史を専門としていない読者に対して、多大の損害を与える危険すらある。それを考えると、やはりこの点につき非難を免れ得ないであろう。評者が見付け得た限りの誤訳(記述の不適切なものを含む)及び誤植の一覧表を文末に付しておいたので、本論文を読む際の参考に供していただければ幸いである。

【誤訳(不適切な記述)一覧】
(1)228頁17行目以下の“When the master …… had still killed or injured such person,he should be sentenced as for homicide in an affray ……”の部分は、“ …… he sould be sentenced as for homicide or inflicting injury in an affray ……”でなければおかしい。
(2)同様に、228頁41行目も、“If the master killed him……”は、“If the master killed or injured him……”でなければならない。
(3)229頁20行目、「不坐(罪に問わない、刑罰を科さない)」を“Shall not stand trial(裁判を受けることにはならない)”と訳しているのは疑問である。
(4)234頁26行目の“banishment for three years and bambooing”は、原文(河撫題 焦登科一案)を見ると、「杖一百流三千里」とあることから、筆者の訳語に従えば“banishment for life and bamboing”でなければならない。

【正誤表】
頁・行
227・注3Ming lü muchianMing lü muiian
228・4wu lun zui 無wu lun
l229・注8宋刑宋刑
229・注9Zhongguo Shuju 中書局Zhonghua huju 中書局
同上楊鴻楊鴻
233・20
233・24dousha zhi szi 闘殺dousha zhi si 闘殺
233・25he sha 格殺ge sha 格殺
233・注19Da Qing huidian ShihliDa Qing huidian Shili
235・16butand(?)
235・2818661800
235・注26 Ch.20ch.12
236・17 …… garden en whether …… …… garden and whether …… (?)
236・注30no OO37no OO67
237・8銭維銭維

※なお、223頁30行目以下に引用されている事案は、@1785(乾隆50)年江蘇省の成案であること、及びA事案の事実経過が類似していることから考えて、大清津例彙輯便覧(成文出版社本3437頁中段)所掲の劉煥五一案を指すものと思われるが、被害者の死亡原因及び首犯に科せられた刑罰について、筆者の翻訳と原文との間に食い違いが見られることを付記しておく。

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