『東洋法制史研究会通信』 第5号(1991年5月1日)

《書評》

汪潜編注「唐代司法制度──唐六典選注」

七野 敏光



 本書は1985年8月法律出版社から公刊された。「唐六典選注」という副題が附されているように、唐六典中司法制度と最も関連が深い、巻6刑部・巻13御史台・巻18大理寺・巻30三府督護州県の4巻について詳細な注釈を施したものでり、各巻ごとに編を改め全4編をもって構成されている。そのうち中心をなすのは巻6刑部の注釈(本書の構成では第1編)であり、全書の半ば以上を占める。記述の次第としては、光緒21(1895)年広雅書局本唐六典の本文および注文をまず掲げ、次に上掲文中にみえる語句についての注釈が加えられる。また所々必要に応じて「按語」がさしはさまれ、記述をより豊かなものにしている。ごくまれにではあるが、このなかには現在中国の学界で論争の対象となっているとおぼしき事項についての言及も含まれ、興味をそそられる。たとえば、24−25頁にかけては『法学詞典』等にみられる秦代車裂の執行についての説明を誤解としてしりぞけ、詩世保「車裂考」等にみえる車裂理解を紹介強調する。

 ところで、唐六典は玄宗皇帝の命をうけ、開元26(738)年に成立した制度の書であり、杜佑の通典と並んで唐代制度の研究には欠かすことのできない資料である。著者が本書前言にいうように「行政法典」として唐六典を位置づけることには問題があろうが、第一級の唐代法制資料であることには疑いがない。また、本文に唐代各司の編成とその職務をのべ、その注文には唐朝に至るまでの各司およびその職務の沿革をのべるという唐六典独特の記述方式からして、唐以前の法制・官制を認識する作業にも欠くべからざる資料である。唐六典を一読することによって、唐およびそれ以前の制度の大概に通ずることも可能といえる。とくに本書の対象となっている巻6刑部などは、秦漢から隋唐に至る律令法の編纂過程の大概を知る際にきわめて有用である。ただ、惜しむらくは唐六典の文章は簡潔を極める。おそらく、唐代官人は自己のもてる彪大な知識を動員し、唐六典の簡潔な文章からその意味するところを誤ることなく賞味しえたのだろう。だが、われわれ(すくなくとも評者)にとっては、そのように苦もなく唐六典の文章を賞味することは望むべくもない。漢から唐に至る歴代の正史をはじめ、各種の政書・類書等実にさまざまな書籍を座右に講読に取り組まねばならない。万全の態勢で講読に臨むも、意味を十分に了解し難い箇所に出会うこと度々である。「唐六典を一読することによって、唐およびそれ以前の制度の大概に通ずることも可能といえる」といっても、実際に唐六典を通読することは大変な困難をともなうのである。通り一遍の浅い読み方ならまだしも、全編を精読することなどほとんど不可能に思える。その意味で、一部分ではあるが、唐六典の注釈書として本書が公刊されたことの意義は大きい。法制研究のため最も重要な部分の注釈でもある。われわれは本書を手掛かりに制度の解明に向かうこともでき、また本書注釈を範として唐六典他所の講読に向かうこともできる。

 本書の注釈はきわめて詳細にわたる。「尚書」「侍郎」「員外郎」といった一つひとつの語句について丁寧な説明が施されるのはもちろん、所出の固有名詞、とりわけ人物についての詳しい注釈が施されていることは有り難い。従来こうした人物については、一々正史列伝の記述にあたり、多大な時間を費やすことを強いられたものである。われわれは今後そうした作業から解放され、しかもより適確な情報をいながらにして得られるのである。また「律」「令」「格」「式」等重要な語句については、相応の紙幅をさき一歩ふみこんだ説明も加えられる。当該語句についての著者の見解の一端をうかがうに足る記述でありある意味では注釈の域をこえる記述ともいえる。しかし、そうした記述が読者の唐六典理解のさまたげになることはない。あくまで唐六典の記述に対する注釈の必然として一歩ふみこんだ見解が提示されているのである。

 その他、本書の注釈についてもう一点だけのべる。たとえば、漢代の刑罰免除過程に関する記述の注釈のように、唐六典の記述に多少とも問題があり、文意がいささか通じにくい箇所について存外簡単な注釈で済まされる場合がある(本書27頁以下)。もちろん、相応の紙幅をさき文意解明に努められてはいるがなお釈然としない印象が残る。評者としては、こうした唐六典記述の難読箇所にこそもう少し詳密な注釈がないかと期待したのであるが、いささかあてがはずれた感があった。だがよくよく考えれば、こうした箇所については、研究者みずから果敢にふみこみ、文意解明に努めるべきことが要求されるのであり、あまりにも詳細な議論を著者が本書で展開するわけにもいかない。上記箇所は注釈書という本書の立場を逸脱することを回避した、著者の禁欲的注釈態度のあらわれとみるべきだろう。

 唐六典はそれ自体きわめて整然と編纂された制度の書である。したがって、その記述と本書の注釈とを併せ読むことにより、唐代司法制度の体系的理解がおのずから可能となる。本書があくまで注釈書の形式をとりながら『唐代司法制度』と主題されることには、そうした意味あいが込められているのだろう。著者は体系的理解への手引書として本書の構想を練り、その日的達成に向け巧妙に注釈を施してゆかれたことと思われる。地味ながら学界に大きく益する労作といわねばならない。

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