『東洋法制史研究会通信』 第6号(1992年3月31日)

《記事》

最近二年来の中国法史研究

武 樹臣



 最近二年来、中国法史(中国法制度史と中国法思想史とを含む)の研究は既存の基礎の上にさらに発展を深め、多くの新たな成果を得た。

1 中国法制度史

 学術著作の面では、蒲堅『中国古代行政立法』(北京大学出版社、1990年)は、王朝順に夏から清までの中央から地方に至る行政管理制度を説明・分析し、歴代行政立法の盛衰及び優劣を総括している。その内容は行政・司法・監察・戸籍・軍事等各分野の行政管理及び各機構の組織・職権並びに職官の選任・考課・昇進転任・致仕等に及ぶ。銭大群・銭元凱『唐律論析』(南京大学出版社、1989年)は、社会・経済・政治等の面から唐律の構造・内容・歴史的地位等に対して深い分析を行なっている。張晋藩・王志剛『変法論──中国古代改革与体制』(法律出版社、1989年)は、中国の歴史上の変法を対象とし、中国古代の改革と封建法制との内在的関係を探求することをテーマとしている。祝総斌『両漢魏晋南北朝宰相制度研究』(北京大学出版社、1990年)は、両漢魏晋南北朝期の宰相制度の繁多な変化に対して逐一考証と論述とを行い、宰相の権力・地位、君主と宰相との間の権力争いの原因及び本質に対して新たな見解を提出している。張国福『民国憲法史』(北京大学出版社、1991年)は、中華民国各時期に制定された憲法(憲法的文書を含む)の内容・特徴・原因に対して紹介と分析とを行なっている。本書は学界が長い間明らかにできなかったいくつかの問題を解決した。例えば、孫中山の五権憲法学説によれば、大総統支配下の五院制ではなくて、五院の上に大総統を設けずに大総統が行政院長となるのである。また、若干の歴史的事実を訂正している。例えば、中華民国臨時約法は1912年2月7日に起草を開始したのではなく、同年1月5日に起草を始めている。さらに本書はいくつかの新たな史料を収めている。例えば、清末の欽定憲法草案や康有為が起草した民国憲法草案等である。

 学術論文の面では、侯毅「論我国古代的氏族部落聯盟」(『文博』1989年3期)、葉文憲「略論良渚■【八酋】邦」(『歴史教学』1990年4期)、陳剰勇「社会変遷与呉・越国家的起源」(『浙江学刊』1989年3期)、武樹臣・馬小紅「伝説時代的社会状況与法的起源」(『首届中国法律史国際学術研討会論文集』陝西人民出版社、1990年)等は全て考古学・社会学等の様々な角度から国家と法の形成の問題を論証し、中国古代の国家と法の起源を探求するために新たな資料を提供している。馬小紅「試論「呂刑」制定年代」(『晋陽学刊』1989年6期)は、「呂刑」の内容を考証・解釈し、金文と考古資料とを用いて実証を加え、「呂刑」は周穆王時代に作られたとするのが比較的合理的であろうと考える。史鳳儀「族刑縁坐考」(『法学研究』1990年1期)は族刑の起源と族刑の適用範囲とを考証している。李力「論春秋末期成文法産生的社会条件」(『法学研究』1990年4期)は、夏の「商刑」、商の「湯刑」、周朝の「九刑」が本当に存在したか否かはなお確認しがたく、春秋以前に成文の法はあったが「成文法」はなかったと考える。武樹臣・馬小紅「中国成文法的起源」(『学習与探索』1990年6期)、同「従「以刑統例」到「以罪統刑」──春秋戦国時期的法律変革」(『文史知識』1991年2期)は、中国の「成文法」の特徴は、第一に、罪名と刑罰との二つの内容が一処にあること、第二に、法典または準法典の形式(一定の数量の法規範群によって構成される)をそなえていることであると考え、また中国の成文法は春秋に源を発し、戦国に誕生したと提起する。武樹臣「名辞思潮与「成文法」的誕生」(『中外法学』1991年4期)は、論理学的意義における「刑名之学」(または「形名之学」)は法家及び成文法と同時に誕生し発展したと考える。江淳「漢代「春秋決獄」浅談」(『広西師範大学学報』1989年1期)は前漢武帝時代の「春秋決獄」が生じた原因及びその原則並びに得失について検討を加えている。胡滄沢「唐代御史制度的特色」(『福建師範大学学報』1989年3期)は,唐代御史制度の主要な特徴を機構の完全性及び職能の多様性並びに権力行使の規範性に概括している。何汝泉「唐代前期的地方監察制度」(『中国史研究』1989年2期)は、監察御史の職責はすでに暴かれた事件を処理することであり、監察使臣の職責は巡行によって違法な問題を発見することにあったと述べている。劉俊文「論唐格──敦煌写本唐格残巻研究」(『学会論文集』)は、唐格は律・令・式と同等の法典ではなく、律・令・式の追加法であり、律よりもさらに高い権威性を有していたとする。陳景良「両宋法制歴史地位新論」(『史学月刊』1990年3期)は、宋代法は形式的にも内容的にも唐律と比べて重要な発展があったとする。李貴連「晩晴「国籍法」与「国籍条令」」(『法学研究』1990年5期)は、晩清政府の国籍法の起草はジャワに居住する華僑の求めによりあわただしく行なったものであるとする。同「中国法律近代化簡論」(『比較法研究』1991年2期)は、中国法の近代化の問題について社会・文化・政治・経済の角度から多重的に検討を加えている。

 文献整理の面では、劉俊文『敦煌・吐魯番唐代法制文書考釈』(中華書局、1989年)は、敦煌・吐魯番文書中に現存する法律文書をあますところなく収録している。律・律疏・令・格・式・令式表・制勅文書・判・牒・案巻等50件があり、それぞれ録文・年代推定・考証・校補・箋釈からなっている。本書の出版は唐代法制史研究の領域を広げるものである。粟勁、霍存福等編訳による日本の学者、仁井田陞氏の『唐令拾遺』(長春出版社、1989年)は、原書に加えて唐令研究の最新の成果を収め、700余条の唐令の条文タイトルを確定している。

 中国法制史教育の需要に応えるため、最近の二、三年間に相前後して何点かの新しい教科書が出版された。例えば、葉孝信主編『中国法制史』(北京大学出版社、1989年)は、全国高等教育自学考試の教科書である。楊和■【金玉】主編『中国法制史』(四川人民出版社、1990年)は、四川省の高等教育における法学専攻用の教材である。游紹尹主編『中国法制通史』(中国政法大学出版社、1990年)、薛梅卿・葉峰薦『中国法制史稿』(高等教育出版社、1990年)などもある。上述の各著作はそれぞれの面でいくつかの新たな特徴を有している。

2 中国法思想史

 学術著作の面では、張国華『中国法律思想史新編』(北京大学出版社、1991年)は、夏から今世紀初までの数千年間の法思想に対し深い検討を加えている。内容は夏商西周・春秋戦国・封建時代・近代の4つの時期に分けられている。春秋戦国の諸家の法思想、封建正統法思想及び近代ブルジョワ法思想に重点をおいて論じている。楊鶴皋『先秦法律思想史』(中国政法大学出版社、1990年)は断代史的著作であり、夏・商・西周・春秋・戦国期の法思想、特に春秋戦国期の儒家・墨家・道家・法家の法思想を重点的に紹介している。

 学術論文の面では、李貴連「沈家本中西法律観論略」(『中国法学』1990年3期)は、沈家本の法思想中のふたつの異なる内容及びその矛盾について検討している。同「沈家本思想的核心及其中西法文化的融合点」(『浙江学刊』1991年1期)は、沈家本思想の核心は儒家の仁政と西洋の人道主義との混合体であると指摘する。喬叢啓「論孫中山憲政理論的主旋律」(『政法論壇』1990年5期)は、孫中山の思想における人民の民主及び幸福を追求することと人民が凡庸低能であることを嘆惜することとの間の矛盾を明らかにし、この内心の矛盾は中国ブルジョワジーが共有していたものであったとする。同「従幼稚到成熟──孫中山法律思想発展的三階段」(『中国法学』1991年5期)は、政治思想ではなく法思想の角度から孫中山思想の変化過程を分析している。同「融会中西、継承創新──孫中山法律思想的特点及其成因」(『法学研究』1991年5期)は、孫中山の成熟期の法思想は、中国と西洋との法文化の精華を積極的に融合したことと創造を発展させたこととの産物であったと指摘する。

 中国法思想学界においては、1986年から新たな研究領域(または新たな研究視点もしくは方法)が人々の注意を喚起してきている。即ち、「中国伝統法文化」(訳註;原語は「中国伝統法律文化」)である。ここ二年、この方面に関する研究は深まりつつある。

 張国華「中国伝統法律文化評估」(『中外法学』1990年1期)は、中国古代法文化の成果に対しては、全面的な肯定も全面的な否定もしてはならず、実事求是で臨んで、糟粕を捨て、その精華を取るべきであるとする。また、歴史虚無主義(自己の民族の歴史文化をわずかの価値も無いと言うこと)を克服しなければならないことを強調する。武樹臣「中国法律実践活動的歴史足跡」(『中国法制四十年』北京大学出版社、1990年)は、法実践活動の全体的精神とマクロモデルとから出発して、中国数千年来の法実践活動をいくつかの主要な歴史的段階(「家族本位・判例法」時代(西周・春秋)、「国家本位・成文法」時代(戦国・秦)、「国家家族本位・混合法」時代(漢から清末))に分けている。同「沈家本的得与失──兼論如何対待中外法律文化成果」(『中外法学』1990年1期)は、沈家本の歴史的功績を肯定すると同時に、大陸法系一辺倒で中国固有の判例制度の伝統を放棄した彼の歴史的限界性を指摘する。同「中国伝統法律文化的構成及其対実践的影響」(『法学研究』1991年2期)は、中原の農耕文化と西北の遊牧文化の衝突と融合とが、春秋戦国の儒家と法家との対立及び秦漠以降の礼法統一の文化的原因であり、これは、判例法と成文法との対立及び融合をも含んでいる。

3 学術会議

 「中国法律史学会」第4期年会が1990年3月に長沙市で行なわれ、参加した学者は85人であった。学術交流を行なうとともに、第4期の理事会メンバーを選出した。会長は曹憲義(中国人民大学法律系)、名誉会長は張国華(北京大学法律学系)、張晋藩(中国政法大学)、秘書長は劉新(中国人民大学法律系)となった。この会議において、ふたつの新たな研究会を成立させた。「外国法律思想史研究会」(会長:王哲(北京大学法律学系))及び「中国法律古籍文献研究会」(会長:高潮(中国政法大学)、粟勁(吉林大学法律学系)、秘書長:楊一凡(中国社会科学院法学研究所))である。

 「沈家本法律思想国際学術研討会」は1990年10月に杭州市で開かれた。参加者は87人で、日本、アメリカ、香港、ドイツ、イタリア、オーストラリアの代表、アメリカフォード財団の代表及び沈家本の後裔も含まれている。九州大学法学部の植田信広氏も会議に参加し発言した。

 「中国法制史研究会」第2期会員代表会議は1990年3月、長沙市で行なわれた。会議は最近十年来の研究成果を総括し、今後の任務は新たな領域を絶えず開拓してゆくことであると指摘した。

 「中国法律思想研究会」は1991年7月、煙台市で学術会議を行い、辛亥革命80周年を記念して、近代ブルジョワジーとくに孫中山の法思想について重点的に討論した。1990年10月に成立した「中国儒学与法律文化研究会」は、「中国法律史学会」に所属する分会のひとつである。1991年6月、無錫市の太湖畔で第1期「儒学与法律文化」研討会を開いた。日本及び台湾省の学者も会議に出席した。会議は儒学と法文化との関係、それらの歴史的価値及びその現代化等の問題について熱心な討論を展開した。会議には上智大学教授大木雅夫「極東法観念の誤解について」、明治大学教授岡野誠「唐戸婚律立嫡違法条を論ず」、東京青山行政手続事務所青山登志郎「儒学の近代日本における運命に関するいくつかの感想」、鹿児島大学助教授石川英昭「儒学法文化の基本的特徴に関するいくつかの問題」が送られてきた。このうち青山・石川両氏は会議に出席し、発言した。本研究会会長の陳鵬生教授(華東政法学院)は現在神戸学院大学において講学中である。

 総じて言えば、ここ二年、中国法史の領域では喜ばしい進展があり、中青年学者は益々重要な働きをしている。とりわけ張国華主編『中国法律思想通史(多巻本)』(11巻約400万字)が1992年から出版され始めることになっており、張晋藩主編『中国法制通史(多巻本)』はすでに執筆、編集の段階にあり、このふたつの大部の著作の出版は必ずや中国法史研究を深め発展させることを推進するであろう。

 付記:本文は最近二年来の主要な研究成果に言及したものに過ぎず、遺漏あることを免れがたい。不適当なところがあれば、ご指摘いただきたい。

(高見澤磨訳)

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