『東洋法制史研究会通信』 第6号(1992年3月31日)

《記事》

アメリカ合衆国における中国法制史研究の現状
──1991年の学会報告から──

蒲地 典子  Noriko Kamachi (Univ. of Michigan, Dearborn)




 アメリカには東洋法制史研究会に相当するような学会はない。アジア学者の学会であるAssociation for Asian Studies(AAS)の年会で、会期中に法制史研究者の集まりを開くこころみはあり、数年前までは情報交換のための集まりが開かれていたようである。私は1988年の会に初めて出席したが、その翌年からはAASのプログラムにこの集会の名が出ていない。私が出席した時の感じでは、このグループは固定した会員もなく、AASの年会で顔を合わせる以外には何の活動もしていないように思われた。1990年のAAS年会では中国法制史研究者の組織を作ろうと提唱する者があり、参加希望者を募っていたので私も配られた書式に住所・氏名・研究関心などを記入して返送しておいたがそれ以後何の音沙汰もない。このような組織を作りたいと考える人がいるということは、かなりの数の研究者がいる、ということであろうがなかなかまとまらないのが現状のようである。

 『法制史研究』のように、法制史研究の書評ばかりではなく研究論文の論評を載せるような有難い機関誌もアメリカにはない。またアメリカで出版される法制史の研究誌は英米およびヨーロッパの法制史が中心で、東洋の法制史を対象とする研究論文が載るのは稀である。したがって、アメリカ合衆国における中国法制史研究の現状を把握するためには当地で出版される中国関係の研究論文および書籍のなかで法や法制に触れるものを拾い集めて検討するしかない、ということになるのであるが、そのためには、AASで編纂している研究文献目録、Bibliography of Asian Studiesが初歩的な助けになる。また最近では、コンピューターによる文献検索のシステムも発展しつつあるが、東洋史研究はなんといってもアメリカの社会科学研究のなかでは特殊な少数グループの事業なので周到な注意を払った文献目録は期し難い。H.W.Wilsonのシステムは1983年以降の文献目録のごく一般的なものであるが、CHINESE LEGAL HISTORY で引くと書評が二篇だけ出てきた。CHINA AND LAWで引くと、これはまたたいへんで、中華人民共和国の法制や慣行に関する研究や報告が無数にあった。

 このようにまとまりのないのがアメリカの学界の性格なので、法制史にかぎらずどの分野でも「回顧と展望」のような総括をするのは困難である。そのうえ、研究者の層が薄いのでやむをえないことであるが、発表される研究のテーマがあまりにばらばらなので、特定の研究対象について議論の白熱するような情況も東洋法制史研究者の間にはなかなか起こらない。議論はむしろ中国研究者に限らぬ法学者を対象とする研究誌でなされる。Roberto M.UngerのLaw in Modern Society(1976)を批判したWilliam P. Alford, “Inscrutable Occidental?:Implications of Roberto Unger's uses and Abuses of the Chinese Past”(Texas Law Review, Vol.64, No.5, Feb.1986)は西欧的な価値観のみを普遍的なものと想定して中国に「法治」が発達しなかった理由を検討したとして、Roberto Ungerの研究枠組を糾弾する。Alfordは別の論文でさらに論を進めて、法制の比較をする者はそれぞれの法制を創り出した社会の法概念の基礎にある伝統や価値観を十分に検討することから出発しなければならない、として、この点では、アメリカにおける中国法制史研究の先駆者であるJerome CohenやVictor Liもまだ十分ではない、と論じた(“On the Limits of 'Grand Theory' in Comparative Law, ”Washington Law Review, Vol.61, 1986.)。

 さて近年の研究動向を書評集の形で報告するには与えられた時間内にはとても準備ができないので、以下、ニューオリンズで開かれた1991年のAAS年会における中国法関係のパネル、およびカリフォルニア大学ロスアンヂェルス校で開かれた研究会をご紹介して報告に替えさせていただきたい。

 AASの年会では中国の法を標題とするパネルは三つあった。

Law and Societyin LateImperial China
司会者:Philip A. Kuhn(Harvard Univ.)
報告:“Justice and Power in Late Imperial China:The Murder of Magistrate Li”
     Joanna Waley−Cohen(Yale Univ.)  
   “Corruption and Its Recompense:The Impeachment System in Qing China” 
     Nancy E. Park(Harvard Univ.〔Ph.D.学生〕)
   “The Social Basis of a Litigious Society”
     Melissa A. Macauley(Univ. of California〔Ph.D.学生〕)
討論者:Jonathan Ocko(N. Carolina State Univ.)
    Alison E. W. Conner(Univ. of Hong Kong)

The Concept of the Rule of Law in China, Part I
司会者:James V. Feinerman(Georgetown Univ.)
報告:“The Unity of the Concept of the Rule of Law in the Early Chinese Case”
     Karen L.Turner(College of the Holy Cross)   
   “J’Accuse:Voices of Indictment in the Qing Bureaucracy”
     R. Kent Guy(Univ. of Washington)
   “When a Judicial Decision Becomes Law:Codification of the Qing Penal Laws and the Rule of Law(A Case Study)”〔魯迅の祖父の事件の档案〕
     Mary Buck(HarVard Univ.〔Ph.D.学生?〕)
討論者:Roger T. Ames(Univ. of Hawaii)

The Concept of the Rule of Law in China, Part II
司会者:Karen Turner
報告:“Using the Past to Make a Case for the Rule of Law”
     Jonathan K. Ocko
   “Ambiguous Authority in Contemporary Chinese Statutory Construction”
     Claudia Ross(College of the Holy Cross)
     Lester Ross(Jones, Day, Reavis and Pogue)
   “The Rule of Law‘Imposed’from Outside:China's Foreign-Oriented Economic and Legal Reforms”
     James V. Feinerman
討論者:William P. Alford(Harvard Univ.)

 以上のパネルのほかにも法制史研究者の参加するパネルはあった。古代史研究の「ラウンド・テーブル」討論会で秦代法制の研究者、Robin D. S. Yates(Harvard Univ.)は睡虎地秦墓竹簡の「日書」の研究を通して古代社会における法と儀礼の関係を究めることの重要性を強調した。

 AASとしては新しい企画で「回顧と展望」の類の討論会が行われた。十九世紀中国の研究ではこれからどんな研究課題を開拓するべきか、という討論会では、五人のパネリストのうちの二人、Philip C. C. Huang と Susan Naquin が法と社会の関わり、中国社会における紛争解決の方法についての研究の必要性を挙げた。

 Philip C. C. Huangは“The Paradigmatic Crisis in Chinese Studies:Paradoxes in Social and Economic History”(Modern China, Vol.17, No.3, July 1991)を出版し、中国の歴史研究で用いられている概念枠組が西欧の経験を基盤としており、中国社会の実態が西欧の理念とは逆説的な発展をしたことが説明できないでいる、と指摘した。すなわち中国における「経済成長を伴わぬ商業化」「自由をもたらさぬ実定法の整備」「市民権の発達を伴わぬ公共空間の拡大」等である。この論説のなかでPhilip Huangはアメリカにおける中国法制史研究の歴史を次のように要約した。

 アメリカの旧世代の学者は、中国には独立した司法権と個人の市民権が欠如していることに注目した。中国の司法は行政の一部であり、法は主として刑法に傾いていて正統思想と社会秩序を維持するのが目的であった(T'ung−tsu Ch'ü Law and Society in Traditional China, Paris:Mouton,1961.;Sybille Van der Sprenkel, Legal Institutions in Manchu China:A Sociological Analysis, 1962. Reprinted ed.London:Athlone Press, Univ. of London, 1977.;Derk Bodde and Clarence Morris, Law in Imperial China:Exemplified by 190 Ch'ing Dynasty Cases, Philadelphia:Univ. of Pennsylvania Press, 1967.)。彼らの注目したのは、当時の中国研究一般がそうであったように、帝制後期の中国と近代西欧との差異であった。

 次の世代の研究者は、中国の法伝統のもつ実定法的(formalist)合理性に注目した。事実上、法は恣意的な刑罰や拷問に拠ることなく、一貫性のある証拠法によって運用されており、現代の標準ではかっても遜色ない公正さを保っていた。さらに、法は民事紛争をも一貫した合理性をもって処理していた(D.Buxbaum, “Some Aspects of Civil Procedure and Practice at the Trial Level in Tanshui and Hsinchu from 1789 to 1895, ”Journal of Asian Studies, 30, 2, Feb.1967.;Alison W. Conner, “The Law of Evidence during the Ch’ing Dynasty”Ph.D.Dissertation, Cornell Univ., 1979.;W.Alford, “Of Arsenic and Old Laws: Looking at Criminal Justice in Late Imperial China, ”California Law Review, 72, 6, Dec.1984.)。この一連の研究は、近代中国研究全体が前世代の強調しすぎた点を修正して均衡をとろうとする方向に向っていた時代の産物である。

 上記の二世代の間の相異は、Max Weberのたてた二つの類型──(1)手段としての法或いはKhadi法と(2)実定法主義(formalist)或いは合理主義の法という二つの類型に相当する(Max Weber, Max Weber on Law in Economy and Society〔Max Rheinstein, ed.〕, Cambridge, MA.:Harvard Univ.Press, 1954.)。(1)では、法は国家による統治の手段であり支配者の悪意に左右される。(2)では、法は抽象的な原理に根ざしており、実定法としての形式をもつ諸原則である。後者のような法のありかたは専門化、標準化、そして司法権の独立を生み出すものであり、Weberはこれらを近代的合理主義とみなしたのである。

 この二つの世代の研究視点の相異は、比較法理の専門家Roberto Unger(1976〔前出〕)と、それにたいするWilliam Alford(1986〔前出〕)の長編の批判論文に明晰な姿をとって現われた。Ungerの目には、中国の法伝統は、個人の市民権の保護を含む近代法の諸要素を欠く法伝統の美事な典型として映った。一方Alfordは、Ungerの中国法観には前世代の学者のおかした文化的偏見からくる誤謬のすべてがつめこまれている、とみなすのである。

 〔Philip Huangは、〕Ungerの見解にもAlfordの見解にも妥当性があると考える。帝制中国の法が高度の実定法であり、系統的で比較的に自律的であったことには疑いの余地がない。この意味で中国法は“formalist”であった。しかしながら、また同時に、中国法が政治的(ことに皇帝からの)介入を受け易かったこと、そして民国期に至るまで、すなわち近代西欧の影響を受けるまでは、個人の権利を護るというようなリベラルな方向へ発展する傾向がほとんどなかったことも確かである(この点についてはPhilip A. Kuhn, Soulstealers:The Chinese Sorceny Scare of 1768, Cambridge, MA.:Harvard Univ.Press, 1990.を参照)。フォーマリズムとリベラリズムは近世の西欧においては連繋していたとしても明清時代の中国ではそうではなかった。

 上述の二つの見方のどちらが正しいかを論争し続けてもあまり稔りある成果は生まれないであろう。そのような論争は、帝制後期の中国が伝統的封建社会であったか或は近代的資本主義の萌芽期であったかの論争と同様な結末になるだろうから。むしろここで我われは、目前にあるパラドックスすなわち、リベラリズムなき実定法(フォーマリズム)の存在をみとめることから出発するべきではないだろうか。

(Philip Huang, 1991, pp.322−323)

 以上のような視点から、Philip Huangは謎を解く第一歩の作業は民事紛争がどのように扱われていたかその実態を知ることから始めねばならないとして、清朝期の地方衙門の档案に注目した。その手始めにHuang自身が農村研究の対象とした華北諸県(The Peasant Economy and social Change in North China, Stanford Univ.Press, 1985.)、および四川省巴県の棺案を中国側の協力によって整理・複写する大規模な計画が発足したが中国側の事情で進捗していないとのことである。

 司法の実態を今後の研究課題とする意図をもつHuang教授は1991年夏に研究会議を開催、その成果は、スタンフォード大学出版局から“Civil Justice in Chinese History”という標題で出版されるとのことである。以下はその会議で発表された研究論文の目録である。Huang教授の厚意で未出版のリストを入手したのでここに掲載させていただき、教授に謝意を表する。

Civil Law in Chinese History(UCLA, August 11-13, 1991)
 Hugh Scogin(The Law Center, Univ. of Southern California), “Civil ‘law’ in Traditional China:History and Theory”
 Philip Huang(History Dept., UCLA), ”Law Suits, Disputes, and Conflicts in North China Villages during the Qing and the Repubulic” 
 Mark Allee(History Dept., Loyola Univ. of Chicago), “Code, Culture, and Custom:Foundation of Civil Case Verdictsin a Nineteenth Century County Court”
 Jing Junjian(Institute of Economics, Chinese Academy of Social Sciences, Beijing), “Legislation Related to the Civil Economyin the Qing Dynasty” 
 David Buxbaum(practicing attorney), “Contract in China in the Qing:the Key to Civil Law”
 Kathryn Bernhardt(History Dept., UCLA), “Women and the Law:Divorce in the Republican Period”
 Madeleine Zelin(History Dept., Columbia Univ.), “Merchant Dispute Mediationin Republican Zigong, Sichuan”
 Melissa Macauley(History Dept., Univ. of Calif.Berkeley), “Civil and Uncivil Disputes in Late Imperial Fujian, 1723−1820” 
 Alison Conner(Faculty of Law, Univ. of Hong Kong), “Lawyers and the Legal Profession during the Repubulican Period”

 以上の発表者のほかには、討論者として、William Alford, Jerome Cohen, Randle Edwards, William Rowe, Frederic Wakemanが参加した。

 上記の諸論文の標題は改訂されたものもあるが、それは本として出版されるときに現われると思われるので本稿では原題のままで記載した。

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