『東洋法制史研究会通信』第9号(1995年5月10日)

《史料紹介》

『東坡烏台詩案』中の律・勅・刑統遺文

川村 康


T はじめに

 朋九万『東坡烏台詩案』(函海、百部叢書、国学基本叢書所収)は、北宋元豊2年(1079)の蘇軾の筆禍事件に関する関係文書を輯めたもので、蘇軾を告発する箚子、蘇軾の供状など、命官の刑事事件にかかわる史料も、ほとんど生の形で遺されている。その末尾に収められた「御史台根勘結按状」は御史台の判決原案であり、李心伝『建炎以来朝野雑記』乙集巻12所収の「岳少保誣証断案」と並ぶ貴重な法制史料である。そこには蘇軾の罪状に対して適用された律・勅・刑統の条文が列挙されている。読者諸賢には周知の事実であろうが、一文を草して覚書とする。

U 「御史台根勘結按状」原文

 函海本『東坡烏台詩案』から「御史台根勘結按状」を移録し、国学基本叢書本(国本と略称)と対校する。読点は原則として国本によるが、筆者の意により改めた箇所もある。

  御史台根勘結按状

御史台根勘所、今根勘蘇軾・王詵情罪、於十一月三十日結按、具状申奏、差権発運三司度支副使陳睦録問、別無翻異、続拠御史台根勘所状称、蘇軾説与王詵道、你将取仏入涅盤及桃花雀竹等、我待要朱繇・武宗元画鬼神(朱、原作未、拠国本改)、王詵允肯言得、

一、煕寧三年已後、至元豊三年十一月十五日徳音前、令王詵送銭与柳校丞(校、国本作秘)、後留僧思大師画数軸、并就王詵借銭一百貫、并為婢出家及相識僧、与王詵処許将祠部来取、并曾将画与王詵装褙(褙、国本作[示+背])、并送李清臣詩、欲於国史中載所論、并湖州謝上表譏用人生事擾民、准勅、臣僚不得因上表称謝、妄有詆毀、仰御史台弾奏、又条、海行条貫不指定刑名、従不応為軽重、准律、不応為、事理重者、杖八十断、合杖八十私罪、又到台累次虚妄、不実供通、准律、別制下問按推、報上不以実、徒一年、未奏、減一等、合杖一百私罪、

一、作詩賦等文字、譏諷朝政闕失等事、到台被問、便具因依招通、准律、作匿名文字、謗訕朝政及中外臣僚、徒二年、准勅、罪人因疑被執、贜状未明、因官監問自首、依按問欲挙自首、又准刑統、犯罪按問欲挙而自首、減二等、合比附徒一年私罪、係軽、更不取旨、

一、作詩賦及諸般文字、寄送王詵等、致有鏤版印行(版、国本作板)、各係譏諷朝廷、及謗訕中外臣僚、准勅、作匿名文字、嘲訕朝政及中外臣僚、徒二年、情重者、奏裁、准律、犯私罪、以官当徒者、九品以上、一官当徒一年、准勅、館閣貼職、許為一官、或以官、或以職、臨時取旨、拠按蘇軾見任祠部員外郎直史館、并歴太常博士、其蘇軾、合追両官、勒停放、准勅、比附定刑、慮恐不中者、奏裁、其蘇軾係情重、及比附、并或以官、或以職、奉聖旨、蘇軾、可責授検校水部員外郎、充黄州団練使、本州安置、不得簽書公事、

V 律・勅・刑統の遺文

 「御史台根勘結按状」所引の律・勅・刑統の条文を再掲し、若干の考察を加える。

 1 律

  a 不応為、事理重者、杖八十断、
  b 別制下問按推、報上不以実、徒一年、未奏、減一等、
  c 作匿名文字、謗訕朝政及中外臣僚、徒二年、
  d 犯私罪、以官当徒者、九品以上、一官当徒一年、

 2 勅

  a 臣僚不得因上表称謝、妄有詆毀、仰御史台弾奏、
  b 海行条貫不指定刑名、従不応為軽重、
  c 罪人因疑被執、贜状未明、因官監問自首、依按問欲挙自首、
  d 作匿名文字、嘲訕朝政及中外臣僚、徒二年、情重者、奏裁、
  e 館閣貼職、許為一官、或以官、或以職、臨時取旨、
  f 比附定刑、慮恐不中者、奏裁、

 3 刑統

  a 犯罪按問欲挙而自首、減二等、

 律のaは唐雑律62条「諸不応得為而為之者、笞四十、事理重者、杖八十」の節略文である。bは唐詐偽律7条「若別制下問按推、報上不以実者、徒一年、……未奏者、各減一等」をほぼそのまま引用している。cは「准律」として引用されているが、唐律に対応条文はなく、勅のdとほぼ同文であるから、「准勅」とすべきものを誤写したものと考えられる。dは唐名例律一七条「諸犯私罪、以官当徒者、……九品以上、一官当徒一年」をそのまま引用している。この史料にabdの三条の唐律が引用されていることは、北宋神宗年間においても基礎的な内容を有するものであれば唐律が「生ける法」として活用されていたことを証している。

 勅は煕寧7年(1074)の煕寧編勅から引かれたものと考えられる。この編勅は唐律の篇目に準じた12門に分門されていたので、各条の門目名はほぼ推測でき、aとd(律のcも)は職制、bとcとeは名例、fは断獄に属すると推定される。このうちfは『慶元条法事類』巻73、刑獄門3、検断の慶元断獄勅「諸断罪無正条者、比附定刑、慮恐不中者、奏裁」に相当する。この慶元断獄勅に相当する条文は紹興勅(「岳少保誣証断案」所引)にも存在しているが、その起源はさらに煕寧編勅にまで遡ることになる。

 刑統のaは、現存の『宋刑統』に対応条文がなく、その佚文と考えられ、内容から名例律37条に附載されるべきものと思われる。「按問欲挙而自首」は宋代の法制史料にはしばしば現れる文言で「予備的取調の段階での自首」と解せられているが、それを二等減とする根拠規定は、管見の及ぶところ、これが唯一のものである。

W おわりに

 「御史台根勘結按状」には、二罪以上倶発の処理、比附定刑や官当の実例があらわれている。一方、皇帝の「聖旨」が結按状の結論にほとんど拘束されていないことは、皇帝と法の関係を考えるにあたって重要な示唆を与えている。関連史料を本格的に捜索して分析すればさらに新たな知識が得られるであろうが、とりあえずは紹介のみにて筆を擱く。

〔附記〕

 筆者がこの史料を知りえたのは、早稲田大学文学部教授 近藤一成氏のご教示による。厚く謝意を表する。

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